解り易い文章、読みやすい文章の書き方。

宇崎です。

今日はわかりやすく、読みやすい文章の書き方について。

そもそも「解りにくい文章」とはどういうものなのか。

これをもう1つの言葉で表すなら
「読み手にストレスを与えてしまう文章」と言い換える事が出来ます。

読み手がその文章を読んでいく中で、
その「解りにくさ」にストレスを感じてしまうと、
その文章で反応(成約)を引き出していく事は、
おのずとそのストレスの量に比例して難しくなっていきます。

だからこそ、より多くの人からの反応を取る事を目的とするなら、
その文章は極力ストレスを感じさせない
「解り易い文章」にしていく必要があるのです。

「解り易さ」という事で言えば中学生、
強いては小学生レベルの一般教養があれば十分に理解できる
それくらい文章が好ましいと言えるかもしれません。

逆に言うと小学生、中学生以上の知識や学力が無ければ
その内容が解りにくい文章という時点で、
その文章は既に解り易い文章とは言えないわけです。

少なくとも母国語(多くの人にとっての日本語)の語学力は、
中学生になる段階でその基盤は大半は固っていると言われています。

つまり誰もが容易に理解できる文章というものは、
中学生や小学生が読んでも理解できる文章でなければならないのです

解りにくい文章の構成要素。


読み手に対し「ストレスを感じさせてしまうような解りにくい文章」には、
ほぼ共通して下記のような3つの構成要素のいずれかが含まれています。

1、文法そのものが根本的に崩れてしまっている
2、使われている言葉そのものが難しい
3、内容が回りくどい


まず、この「文法」についてはコピーライティング以前の問題かと思います。

少なくとも今は小学校の低学年層で
既にある程度の文法教育が終わると言われています。

つまり小学校3、4年生くらいであれば、
既に正しい文法に沿った文章を書けて当たり前という事です。

ただ文章を書き慣れていない人がいざコピーを書き始めると、
意外にもこの「文法が崩れてしまう」という事が少なからず生じてきます。

文法がおかしな文章は、その文章が解りにくいどころか
全く意味不明な文章になってしまう事もあります。

また文法が崩れているところまではいかなくても、
重要な部分で主語などが抜けている文章を作ってしまい、
結果として解りにくい文章を作ってしまっています。

例えば句読点の使い方などです。


句読点を正しく使う。


句読点は句点「。」と読点「、」の事。

文章を「理解」してもらう上で、
正しく文章を読み取ってもらう事はその大前提となります。

またその文章を読んでいく中で、
文法が整っていない事によって生じる読み手の疑問は、
それそのものが、そのまま文章の反応を下げる事に繋がってしまいます。

例えば下記の文章を読んでみてください。


父は悲しそうに本を読む娘を見ている。


この文章では「悲しそうに」しているのが父なのか娘なのかがわかりません。

読み手はそこに疑問を抱くか、勝手な解釈をする事になります。

疑問は反応を下げ、勝手な解釈は誤解を生みます。

もしこの時「悲しそうに」しているのがどちらであるかが、
この後の話において重要なポイントになるのであれば、
この誤解もまた、その後の話に大きな影響を及ぼしてしまいます。

このような疑問や誤解を取り除けるものが「読点」です。


父は、悲しそうに本を読む娘を見ている。

父は悲しそうに、本を読む娘を見ている。


前者は娘が悲しそうにしている文章。

後者は父が悲しそうにしている文章です。


難しい言葉を使わない。


また、ターゲットや集客層がそこまで特定されていないという場合、
誰もが理解できる言葉で物事を説明していく文章が最も適切です。

これはただ当たり前の事を言っているようですが、
意外にもこうした「難しい言葉」が、
さほど意味も無く多用されているコピーを私は様々なところで多く見かけます。

そんな言葉を多用している書き手の気持ちはこうでしょう。

「その言葉以外に適切な言葉が見つからなかった」
「コピーの印象をかっこよくしたかった」
「書き手の人物像を賢く見せたかった」


こんな局面はいざあなたがコピーを書き始めていくようになっても、
必ず差し当たる場面ではないかと思います。

例えば四文字熟語などは、その言葉だけでも響きがいいものや、
その言葉を使っているだけで賢く見えるものがたくさんあります。

ただ、ターゲットのうち100人中100人が「知っている」と
そう確信を持てるものでなければ、それ以外の言葉を使う事は
単純にコピーの反応を落とすだけだと認識しておくべきです。

辞書を引かなければ意味がわからないような人が一人でもいるような言葉なら、
その言葉は広告の中では決して使うべきではないという事です。

そのような言葉が出てきた段階で、
読み手はその文章の意味が理解できずに
「ストレス」を感じてしまう可能性が高まるからです。

例えばこれはある哲学書を訳したものの一文ですが、
まさに理解しがたい「難しい言葉」のオンパレードではないでしょうか。

伝統的人間学において重要な根源、つまりギリシア的定義と神学的手引きとが暗示するのは人間という存在者の本質規定に気を奪われ、この存在者の存在への問いが忘却されたままになっており、むしろこの存在は「自明な」ものとして、その他の創造された諸事物が事物的に存在しているのと同じ意味において把握されているということ、この事である。
(ハイデガー筆「存在と時間」より抜粋)

この文章に何のストレスを感じないような人は、
おそらく皆無ではないかと思います。

もともとの内容が難解なものとは言え、こ
れではよほどの哲学の知識を持っている人でなければ、
文章の意味そのものさえ理解することが出来ません。

“神学的手引き”“存在者の本質規定”“事物的に存在している”など、
1つ1つの言葉においても、その意味が余りにも不透明過ぎると思います。

勿論、このような哲学書というものは、
既にそれなりの知識を持っている人が読む事を前提にしているものです。

とは言え多くの人に解り易く物事を主張していく文章としては
余りにも難しい言葉を使い過ぎています。

ちなみにこれは師匠から借り受けた本ですが私も3時間程で音を上げました(苦笑)

しかし、ただ1つ確実に言える事は
このような理解し難い難解な文章で人に影響を与え、
行動を起こさせる事はまず出来ないだろうという事です。

文章の前後と漢字のニュアンスなどで
「まず理解出来るだろう。」というレベルの
多少難しい言葉を使う程度なら場合によっては問題も無いと思います。

ただ、そのレベルであっても読み手の反応を下げる可能性がある事は否めません。

それでもその言葉以外にうまい表現が見つからないという状況でなければ、
出来る限り解り易い言葉で同じ物事を説明するようにしていくべきだという事です。

それが読み手にストレスを与えない文章を書いていくポイントになっていきます。

とは言え、この「難しい言葉を使わない」という事を徹底し過ぎる事で、
もう1つの「解りにくい文章の構成要素」を作ってしまう事があります。

それが文章の内容が余りにも回りくどくなってしまい、
解りにくくなってしまうというケースです。

難しい言葉を使わず、正しい文法で文章を書いていっても、
やはり読み手にストレスを感じさせてしまう事があります。

それは文章の結論がなかなか見えず、
文章自体が余りにも回りくどい内容になってしまった場合などです。

文法が正しく、言葉1つ1つは理解できるものでも、
その話の根本的な趣旨や結論が全く見えてこないような文章には、
やはり人は「ストレス」を感じます。

そんな文章を長々と読まされる事は、
ただただ退屈で眠たい話を長々と聞かされるようなものだからです。

そこで自分が作成していくコピーをそのような文章にしない方法としては
最初に結論を出してしまう事です。


結論を先に述べ、文章の書き出しを短文にする。


これは文法というよりは1つのテクニックに近いもので
文章の書き出しをあえて短文にするという事だけで、
その文章が非常に解り易いものになります。

例えばこのような文章があったとします。


私は酒とタバコと暴力を好む悪魔ような父親に捨てられました。


とくにこれでも問題はありません。

ただ文章の書き出しを短文にするだけで
この文章はより読み手を惹きつけられる文章に変わります。


私は捨てられました。酒とタバコと暴力を好む、悪魔ような父親に。


文章を置き換える事で「読点」を自然に入れる事も可能になり、
よりわかりやすい、読みやすい文章になったかと思います。

冒頭で結論を出してしまうという方法は
読み手を退屈させない最も簡単なテクニックの1つと言えます。

成約の取れるコピーは常に「飽きさせない事」と
「退屈させない事」が前提になるからです。

飽きさせず、退屈させずに文章をグイグイと読み進めさせていくには、
読み手の心理の中に常に「何故(why)」を彷彿とさせる
興味や関心を抱かせ続けなければなりません。

そしてその「何故(why)」には
下記2つの「興味・関心を作り出す構成要素」があります。

1、結論を知りたい事への興味・関心
2.何故その結論に至ったのかの興味・関心


“過程を聞かされた上での結果”と“結果を聞いた上での過程”。

どちらに強い興味を抱くかと言えば、
人間心理の原則で言えば確実に後者の“結果を聞いた上での過程”です。

事例を挙げてみようと思います。

下記2つの文章でより強く興味・関心が湧き上がるのは
どちらかをあなたの感覚で考えてみてください。

私は月収100万円を目標として、
コピーライティングのスキルを極めるために「ある事」を徹底しました。
そしてその3カ月後、私の収入は・・・

私は月収100万円を目標として、
コピーライティングのスキルを極めるために「ある事」を徹底しました。
そしてその3カ月後、私は見事に目標の月収100万円を達成したのです。
さて、そのスキルを身に付ける為に私が行ってきた事とは・・・

例文1は「月収100万円を達成した」という“結果”を伏せたコピー。

例文2はその結果を開示した上で次の興味・関心を引いているコピーになります。

1は「結果への関心を引くコピー」である事に対し、
2は「結論からその過程に関心を引くコピー」となっています。

まず結論として、情報商材などのヘッドコピーとして
読み手に興味や関心を強く抱かせる事が出来るコピーは
人間心理の原則としては「2」の方になります。

その心理原則を解説していきます。

例文1はあくまでも私がどうなったかという事に
興味を集めようとしているコピーである事に対して、
例文2は私が行ってきた事に対して興味を集めようとしているコピーです。

この2つのコピーの大きな違いは
読み手に関係する事柄はどちらかという点です。

コピー上の“「私」の収入”と“「私」が行ってきた事”、
読み手に関係する事柄は当然“「私」が行ってきた事”の方になります。

何故なら1のコピーは「私」の収入をクエスションにしているだけですが、
2のコピーは「その為に行ってきた事」をクエスションにしているからです。

読み手にしてみれば「収入が幾らになったか」は所詮他人事でしかありません。

そのクエスションが解けたところで、読み手にはとくにメリットは無いからです。

対して「何をして収入がアップしたのか」を知れる事は、
読み手のメリットに直結する可能性があります。

その方法を知る事で、自分の収入もアップ出来る可能性があるからです。

つまりコピーを書いていく際、
大抵のケースで読み手に強い興味を植え付ける事が出来るのは
結論を棚上げするような“どうなったか”というコピーでは無く、
その結論を先に持ってくる“そうなったのは何故か”という

「何故その結論に至ったのかの興味・関心を刺激していくコピーである」

という事です。


まとめ


以下、今回の「解り易い文章、読みやすい文章の書き方」まとめです。

<解り易い文章、読みやすい文章の書き方>
・解りにくい文章は読み手にストレスを与えてしまう文章。
・句読点を正しく使う。
・小学生、中学生でも理解できる文章にする。
・結論を先に述べ、文章の書き出しを短文にする。
・何故その結論に至ったのかの興味・関心を刺激していく


また次回の講義をお楽しみに。

K.Uzaki

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2014年3月7日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

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