文才と文章力の違い。コピーライティングに必要なのは・・・

あなたは「文才」と「文章力」の違いをどう捉えますか?

これは決して言葉の正しい意味を問う質問では無く、
純粋にこの2つの違いをどう捉えるかという感覚の質問です。

一応それぞれの言葉を辞書で引くと、

 文才 :文章を巧みに書く才能。
 文章力:上手い文章を書く能力。

このようなニュアンスのものが出て来るのですが、
主な違いは「才能」と「能力」にあるものと読み取れます。

才能 = 物事を巧みに成し得る生まれつきの能力
能力 = 物事を成し得るために必要な力


この2つの言葉の違いは上記の通りなので、
平たく言えば「文才」は文章が書ける生まれつきの才能で、
対する「文章力」の方は努力で培う事も出来る文章を書く能力。

表面的な意味合いの違いは、これで概ね間違いはないはずです。

その上で、ここからが今回の講義の本題なのですが、
このブログのテーマである「コピーライティング」に、
この「文才」や「文章力」といったものが必要なのかどうか。

今回はその必要性、関連性について言及してみたいと思います。

それでは、早速、いってみましょう。

文才、文章力はコピーライティングに必要か。


まず、冒頭では「文才」と「文章力」を平たく解釈し、
いずれも上手い文章を書くための能力である事を前提とした上で、
それが天から授かった才能なのかどうかが主な違いであるとしました。

ですが、この「文才」と「文章力」の違いについては、
もう少し「深い視点」で言及できる余地があります。

と言うのも、生まれつき天から授けられるような、
いわゆる「センス(感覚)」で捉える文章を書く能力と、
後天的に「努力」によって培える文章を書く能力は、
少なくとも、私は全くもって「別モノ」だと思うんです。

文才(センス)を前提とする文章を書く能力は、
いわゆる「言葉選び」における特有の感覚というか、
表現力のような芸術的な感覚にあたるもの。

対して努力によって培える文章力にあたるものは、
あくまでも文章の構成力や論理的な説得力といったもの。

その中には「文才」で挙げたような言葉選びの感覚や、
表現力のようなものは「含まれない」ように思うわけです。

それこそ、そこはセンス(=才能)なのかな・・・と。

小説で言うなら、続きをグイグイと読ませられる、
秀逸なストーリー展開を構成できるかは文章力次第で、
1つ1つの文章の言葉選び、表現の良し悪しは文才次第。

これが私の捉える「文才」と「文章力」の違いにあたります。

そして、このような解釈の上でコピーライティングに、
この「文才」や「文章力」が必要なのかと言うと、、、

少なくとも、私のようなスタンスのコピーライターに関しては、
努力次第で培う事が出来る「文章力」は必要であるものの、
天から与えられる「文才」にあたるものに関しては、
そこまで必要なものでは無いというのが私の率直な見解です。

もちろん、どちらも「ある」に越した事はありませんが、
私のようにウェブ(ネット)を中心に活動しているライターは、

・集客を図って興味を引く
・共感を引き出して教育を図る
・信頼関係を築いて商品を売る


といった確固たる目的や役割が伴う文章を1つ1つ、
しっかりと順を追って構成していかなければなりません。

そこに言葉選びの秀逸さ(面白さ)はそこまで求められないため
やはり論理的な文章構成などを担う文章力こそが、モノを言います。

文章を論理的に構成するための文章力は必要であるものの
言葉選びのセンスなどは、そこまで重要では無いという事です。


感覚と論理。求められているものはどちらなのか。


仮にテレビCMなどの「キャッチフレーズ」を作るというなら、
それこそ言葉選びのセンス(=文才)がそこに求められると思います。

まさに短い文章(コピー)で見る人の関心を引くような場合や、
どこか頭に残ってしまう印象的なフレーズを作る場合など、
言葉選びのセンスの方が重要になるケースも無いわけではありません。

ですが、そういった企業向けのイメージコピーを作って
実際に生計を立てられるようなコピーライターは
それこそ、ほんの一握りの中の一握りです。

そして、そういったコピーを作っているコピーライターは、
コピーの知名度やコピーライターとしての知名度はそれなりでも、
稼ぎという点で言えば、正直、そこまででも無いのが実状です。

世間的な知名度はともかくとして、収入的な面で言えば、
私のような、ウェブ専門のライターの方が遥かに稼いでいます。

ですので、少なくとも、私のようにウェブを中心として、
セールスやアフィリエイトなどを行っていく上での
コピーライティングのスキルに関して言えば、
そこに必要なのは「文章力」であって「文才」ではありません。

つまり、先天的に生まれ持った感覚(センス)よりも、
後天的に培っていく事が出来る論理や構成力が重要であり、
それは誰もが努力次第で身に付ける事が出来るということです。

仮にあなたが一流企業のキャッチコピーを書くようなライターや
芥川賞のような文学賞を目指したいというのであれば、
それこそ「文才」が何よりもモノを言うような、
秀逸な言葉選び、表現力で文章を書く必要があると思います。

ですが、それこそ私は「才能」の分野だと思いますので、
ある程度は努力でも磨ける余地はあるのかもしれませんが、
現実として、一生、芽が出ない可能性もある世界です。

それと比較するなら、私が主戦場にしているライティングの世界は、
本当に努力次第でどうにでもなるのが実状だと思いますので、

「自分には文章の才能(文才)が無いから・・・」

と悲観的にならずに、是非、努力を重ねてみてください。

ここでお伝えしたように、そこに求められるのは、
少なくとも「文才(センス)」ではないと思いますので。

そうで無ければ、このブログの存在意義も薄れてしまいますからね。

少なくとも私は文才など無い人間なので、そう確信して努力しています。

是非、一緒に頑張りましょう。

K.Uzaki

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