文章が上手いだけのコピーライターでは一流になれない理由。

先日より公開となっているライティング教材、

「The Mind Motion~心の動きとコピーライティング~」

に伴い、営利目的で公開する「広告を担うコピー(文章)」においては、
上手い文章を書くスキルやそういったテクニック論よりも、

「文章に対する読み手(見込み客)の心理を洞察するスキルが重要」

という話を、ここ数回の投稿記事でお伝えしています。

例えば、以下のような二人のコピーライター。

・見込み客の心理をいまひとつ読み取る事が出来ない文章が上手いライター
・その心理を的確に読み取る事が出来る普通レベルの文章が書けるライター

この二名のコピーライターが実際に「コピー」を手掛けた場合、
やはり、反応が取れるコピーを書けるのは確実に後者の、

「見込み客の心理を的確に読み取る事がコピーライター」

の方になると思います。

前者の「見込み客の心理を読み取れない文章の上手いコピーライター」は、
言わば「言葉運び」や「言葉の表現」が上手いだけの
お客さんの気持ちや空気を全く読み取れない無神経な営業マン。

対して後者のコピーライターは、決して口が立つわけでは無いものの、
お客さんの気持ちをしっかりと理解できる営業マン。

ここで示した二人のコピーライターを例に挙げた質問は

「上記のどちらが優秀な営業成績を残せるか」

という問いに近いものだと思います。

言うまでも無く、営業マンとして好成績を残せるのは、
後者の「お客さんの気持ちを理解できる営業マン」になるはずです。

それこそ、自分自身が、

「どちらの営業マンと関わりたいか。」
「どちらの営業マンから商品を買いたいか。」


で考えてもらえれば、これは必然的に出てくる答えではないかと思います。

そして、これは「文章」においても同じです。

読み手から望むべく「反応」を引き出せるコピーを書けるのは
文章が上手いだけのライターが書いたコピーではなく、
見込み客の心理を的確に読み取る事が出来るライターが、
実際にその心理を深く洞察して書いたコピーに他ならないという事です。


文章の「上手さ」は人並みで良い。


少なくとも、営利目的で公開する事を前提とするコピーや文章は、
その「顧客心理」や、読み手側の「心の動き」を的確に読み取れるようになれば、
俗に言われる「文章力」というものは人並みで全くもって問題ありません。

コピーライティングにおける表面的なテクニックなど一切、駆使せずとも、
そこをしっかりと押さえていれば「反応が取れるコピー(文章)」は、
むしろ、ごく普通レベルの文章で、普通に取っていく事ができます。

表面的な文章力やライティングのテクニックを身に付けたところで、
読み手側の心理を洞察するスキルが欠けている限り、
高い反応を引き出せるコピーや文章を書き上げていく事はできません。

むしろ、表面的なテクニックばかりを詰め込んだだけのコピーは、
ただ過激な言葉や無神経な売り文句ばかりが並んでしまう傾向にあります。

それこそ、そのようなコピーはインターネット上において、
情報商材業界などに溢れていると思いますので、見覚えがあるはずです。

まさに「お客の気持ち」や「心理」が全くわからない、
無神経な営業マンの押し売りのようなコピーが溢れているわけです。

そのような状況だからこそ、然るべきスキルを習得してしまえば、
その時点で、インターネット上に溢れてるコピーよりも、
遥かに高い反応を引き出せる文章を自在に書き上げていく事が可能になります。

「上手い文章の書き方」
「コピーライティングのテクニック」


このような二次的なスキルを学んでいくのは、
その後でも決して遅くはありません。

むしろ上手い文章の書き方やコピーライティングのテクニックなどは、
それに先立つ本質的なスキルを身に付けた「後」にこそ、
本当の意味で有効に活かしていくことが可能になるという事です。


文章に対する「心の動き」を本格的に学んでみませんか?。


ここでお伝えしてきたような「文章」と「心の動き」を結び付けた上で、
それらをしっかりと体系化できているコピーライティングの教材や書籍などは、
私が知っている限りでは、1つとして目にした事がありません。

もちろん、ある程度の範囲では、読み手の心理を読み取る視点で、
それに付随するポイントが言及されているもあります。

ですが、読み手側に情報を与えた事による「心の動き」や、
その動きを「読み取る」というところにスポットを当て、
そのスキルを体系化しているようなものは皆無に等しいのが実状です。

そんな中で、先日からご案内している新作のライティング教材は、

・読み手の「心理」を読み取る事
・それに伴う「適切なメッセージ」を選び出す事
・そのメッセージを踏まえた「心の動き」を再び読み取る事

これらの「文章」に対する「心の動き」に特化した教材であり、
ただ表面的な「文章の書き方」などを指南するような内容ではなく、

『文章に対する読み手側の心理を読み取るためにはどうすれば良いのか』

という内容が大半を占める構成になっています。

↓↓↓


まさに「心の動き」を捉えた上での文章の在り方、書き方を指南しているため、
その多くは心理学、読心術と呼ばれるものに付随する内容になっているという事です。

とは言え、ごく一般的に言われる「心理学」「読心術」といったものであれば、
遥かにその道に精通した学者や専門家の書籍などが幾らでもあると思います。

ですが、こちらの教材は「コピーライティング(文章)」に特化した
人間心理の動きを捉える為の講義を展開しています。

どんなに表面的な「文章の書き方」ばかりを学んだとしても、
読み手側の「心の動き」を捉えるスキルは、決して身に付きません。

今回の教材は、まさに「文章」を介して読み手の「心理」を読み取る、
その総合的なスキルを学ぶ事が出来る内容になっていますので、
この機会に是非、手に取ってみてください。

↓↓↓

>The Mind Motion-心の動きとコピーライティング

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2023年11月28日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

印象の良い文章、悪い文章の違い。その書き方とポイント

自分自身の「文章」をブログなどを介してネット上に公開した場合、
そのブログに訪問(アクセス)して来た人は、その「文章」に目を通します。

その際、そのブログをビジネス上の「集客」を目的に運営していた場合、
そこに訪問(アクセス)してきた新規の訪問者が「見込み客」となるわけですが、
実質的に、見込み客と自分自身が最初の「接点」を作り出すタイミングは、

「新規の見込み客が自分が書き上げた文章に初めて目を通していく瞬間」

に他なりません。

その際、その文章を読み進めていく「見込み客」にあたる人は、
その文章の「内容」に対して、何らかの「感想」を抱く以前の段階で、
実際に読み進めていく文章そのものに対して何らかの「印象」を抱く場合があります。

それは「無意識」に近い範囲のものも含めたものになりますが、
文章の内容に対する肯定、否定、共感、反感といったものよりも先に、
まずは、文章そのものに対して何らかの「印象」を抱く場合があるという事です。

印象の良い文章、悪い文章の違い。その書き方とポイント。


そのブログなどのコンテンツにおける文章をある程度でも読み進めてもらえれば、
その時点で抱く「印象」は、その内容に対する「感想」が主となるはずです。

つまり、その文章の内容を「肯定」した上で「納得」や「共感」に至っていれば、
そのコンテンツはもとより、その文章を書いたであろう「人物」に対しても、
それ相応の「好印象」を抱く状況に至っていると考えられます。

逆に、納得や共感に至らず、その内容に「反感」を抱いているような場合は、
その文章を書いた「人物」に対する印象も良いものにはなっていないはずです。

ただ、このような「文章の内容を踏まえて生じる印象」は、あくまでも、
その文章を一定範囲、読み進めた上で初めて生じるものになります。

ですが、実質的な「文章への印象」は、その内容以前の段階における、

「文章そのものに対する感覚的な印象」

にあたるものが存在するため、この時点であまりに悪い印象を与えてしまうと、
その時点で、文章そのものがそれ以上、読まれなくなってしまう恐れがあります。

どんなに見込み客にとって価値のある話やタメになる話をしていても、
その内容以前の段階で「悪い印象」を与えてしまう場合があるという事です。

そんな「文章そのものに対する感覚的な印象」を左右する要因としては、

・文体(文章上の口調)
・表現(言葉選び)
・読み易さ(分かり易さ)

この3つが主なものとして挙げられます。

1つ目の「文体」は文章上の口調が主なものになりますが、
大きくは「だ・である調」と「です・ます調」に分類されます。

ですます調,だである調,どちらの語尾で文章を使い分けるべきか



よって、この「文体」については、上記を参照いただければと思いますが、
この部分は無難な「ですます調」で文章を書いていくようにすれば、
文章の印象をそこまで悪くしてしまう事もありません。

逆に下手に「個性」を出そうと、

・時代錯誤な文体(~でござる。~で候など)
・山の手言葉(~ざます。~ざんす。など)


このような「奇抜な文体」で文章を書いてしまうと、
それが文章の印象そのものを悪くしてしまう恐れがあるという事です。

奇抜な文体は避け「無難な文体(ですます調)」で文章を書く。


また、2つ目に挙げた「表現(言葉選び)」は物事の言い回しなどにおいて、
あまり一般的ではない表現や、若者言葉、ネット特有の用語などを多用すると、
それらに馴染みの薄い人は、感覚的な「ギャップ」を感じてしまいます。

自分自身が普段、まず使わないような表現や言葉が、
当たり前のように多用されているような文章は
3つ目に挙げた「分かり難さ」にも繋がってしまうため、
これも内容以前の「文章の印象を悪くする要因」となるわけです。

ただ、1つ目、2つ目に挙げた「文体」と「表現」については、

・奇抜な文体、一般的ではない表現を避ける
・無難な文体。一般的な表現を用いる

このような「普通の文章」を心がける範囲でクリアする事ができるため、
実質的に、世の中の大半の文章は、この部分は問題なくクリアできています。

よって、実質的に文章そのものの印象を悪くしている「主な要因」は、
3つ目に挙げた「読み易さ」および「分かり易さ」の部分であり、

「伝えたい事を正しく伝える」

という観点でも、文章の読み易さ、分かり易さは極めて重要となります。

ただ、読み手側が感覚的な範囲で捉える「読み易さ」や「分かり易さ」は、
職業柄も含めて、よほど文章に精通しているような人でない限り、
その文章の読み易さ、分かり易さなどは感覚的な「印象」で判断します。

つまり、

「この文章は、ここがこうだから読み易い(分かり易い)」
「この文章は、ここがこうだから読み難い(分かり難い)」


というように、その読み易さ、読み難さの「要因」にあたるものを、
強いて意識的に捉えているような人は「稀」という事です。

そして、その「感覚的な印象」を実質的に左右しているのは、
多くの人が、ほぼ無意識に近い感覚で自分の中に内面化している、

「文章の規範(いわゆる文法)」

にあたるものであり、その「規範」に近い文章になっているほど、
その文章を捉える印象は「読み易い」というものになります。

逆に、その規範に沿わない文章ほど「読み難い」という印象になるわけです。

よって「読み易さ」に伴う感覚的な印象を良いものにするためのポイントは、

「多くの人が捉える文章の規範(文法)に沿った文章を書く事」

であり、これが実質的な「文章の印象」を大きく左右するという事です。

多くの人が捉える文章の規範(文法)に沿った文章を書く。


ですが、以下の講義でも言及した事がある通り「母国語(日本語)の文法」は、
それを1から教わって覚えた、勉強して覚えたという人は滅多にいません。

母国語、日本語の文法や文章を「理解」したのはいつなのか。



つまり、大抵の人は「母国語(日本語)の文法」を、
幼少期からの日常生活の中で無意識的に学習してきているわけです。

よって、多くの人が「読み易い」「分かり易い」と感じる『文章の在り方』は、
必ずしも「文法のルールに沿った正しい文章」というわけではありません。

文法上はこのような文章が正しい。とされる文章の書き方があったとしても、
それが多くの人にとっての文章の規範となっているとは限らないという事です。

その上で、私や師匠が文章において追及しているのは、

「文法をベースとした論理的な分かり易さ」

であり、文法は当然のベースとして重要視していくのですが、その上で、
分かり易い文章の「理」を追及した書き方を追及していくようにしています。

ただ、ひたすら文法に沿った「正しい文章」を書いていくのではなく、

「論理的な分かり易さを追及して文法に沿った文章を書く」

という事を徹底しているわけです。

そんな「分かり易さの理」を追及する文法に沿った文章の書き方については、
このブログ内でも、その視点に基づく文章講座を多数公開していますので、
是非、そういった視点で各講座を参考にして頂ければと思います。

>コピーライティング至上主義者の会、コンテンツ一覧へ

「文法」から、読み易さ、分かり易さの「理」を追及するライティング講座


また「文法」から「分かり易さの理」を追及する文章の書き方については、
私の師匠が手掛けた以下のライティング講座を介して学べるようになっています。

>Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~


この【Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~】は、
それこそ「文章そのものの質」を、根底から底上げできる、
そんなライティング教材になっているはずです。

このブログの文章講座では、私が師匠から教わった内容を公開していますが、
このライティング講座では、その大元となっている原理原則が余す事なく公開されています。

是非一度、ご案内のページの方だけでも目を通してみてください。

K.Uzaki

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2021年7月3日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:心理テクニック 文章講座 ブランディング 文法・品詞

母国語、日本語の文法や文章を「理解」したのはいつなのか。

多くの人にとって「母国語(日本語)」にあたるものは、
幼少期からの日常生活で自然と習得するに至ったものだと思います。

その「在り方」や「根本」を、

・誰かに1から教わった
・勉強して覚えた


というような意識や認識はそこまで無いはずです。

よって、日本語を「母国語」としているような人なら、
文章における「文法」と呼ばれる文章のルールや規則なども、

「ほぼ無意識に近いレベルで内面化されてきたもの」

と考えられます。

当然、そのようなに無意識レベルで内面化された「文法」を
そこまで強く意識して文章を書いていくような事もまずありません。

つまり、日本語を母国語とする人の多くは「文法」を無意識で捉えて、
その無意識に近い形で「文章」を書いているわけです。

母国語、日本語の「文法」は、ほぼ無意識の範疇で使われている。


このブログでは「コピーライティング」をテーマとして扱っていますし、
これまで、コピーライティングについてたくさんの記事を公開し、
また、コピーライティングの教材やコンサルティングなども行ってきています。

ですが、そもそもコピーライティングは「コピー(文章)を書くスキル」であり、
その文章の「基盤(ベース)」にあたるものは、実際のところ「文法」です。

その「基盤(ベース)」がしっかりと「在るべきもの」になっていなければ、
その時点で、その文章はどんなにライティングの「テクニック」を駆使しても、
その「根本的な部分」で、大きく反応を落としてしまう事になります。

つまり「コピーライティング」と呼ばれるものを含めた「文章のスキル」は、
それを活用していく文章そのものの基盤(ベース)がしっかりしていなければ
そもそも、有効に活用していく事は「出来ない」という事です。

私自身、実際に多くの人にコピーライティングの指導を行い、
そのような方々の「文章」を実際に見て、添削などを行ってきていますが、

「コピーライティング以前の文章の基盤(ベース)の部分で反応を落としている」

というケースが、非常に多く、むしろそのケースが「ほとんど」だと感じています。

要するに、多くの人がコピーライティングなどの文章のスキルを学んでも、
いまいち、その反応や売上が伸びない最大の「要因」にあたるものは、
コピーライティングのスキルやテクニックの良し悪しや学び方云々ではなく、
ほぼ無意識レベルで内面化されてしまった文章の基盤にあたる部分。

すなわち無意識レベルで使っている「文法」にあるのが実情なわけです。

ですが、これは、今から「国語の教科書」や外国人向けの「日本語の入門書」などで、
1から日本語の文法を勉強しなすべき、という事を言っているわけではありません。

おそらく、そのような「勉強」を実際に行ったとしても、

「やっぱり、自分にとっては分かり切っている事ばかりが書いてある」

と思ってしまう部分がほとんどになると思いますから、
そのような勉強は、物凄く退屈で全くもってはかどらないはずです。

また、もし、自分自身の「文章」における1つのゴール(目的)が、

・読み手を反応させ、行動させる事ができる文章を書く事
・売上や成約に繋がるような稼げる文章を書く事

などにあたるなら、国語の教科書や日本語の入門書で学べる「文章」は、
結局のところ「在るべき文法に沿った正しい文章」でしかないため、
そのような文章を書けるようになっても、その「目的」はおそらく果たせません。

「正しい文章」と「反応が取れる文章」は、必ずしもイコールではないからです。


「正しい文章」と「反応が取れる文章」はイコールではない。


もちろん、読むに堪えないレベルの「文法を無視した正しくない文章」では、
反応以前に、文章の内容そのものが「理解されない」と思いますから、
そこまでのレベルの文章は、当然の事ながら「問題外」です。

ですが、日本語や文法のルールをガチガチに守った「正しい文章」が、
必ずしも高い反応に結び付くかと言えば、決してそうではありません。

よって、

「読み手を反応させ、行動させる事ができる文章を書く(稼げる文章を書く)」

という目的を前提とする上で必要な事は「そのための文章の在り方」を知る事であり、
そのための文章は「読み易く」そして「分かり易い」そんな文章に尽きます。

文章的な「正しさ」を追及するのではなく読み易さ、分かり易さを追及するわけです。

そして、その「読み易さ」と「分かり易さ」にあたるものは、

「読み手側の内面やそこから生じる印象」

から生まれるものであって、こちらが一方的に押し付けるものではありません。

その上で「文法」というものをそのような視点で捉えなおすと、
読み易く、分かり易い文章がどう在るべきなのか、が見えてきます。

むしろ「文法」は、そのような視点で捉えなければならないという事です。

ですが、多くの人は、ほぼ無意識レベルで内面化された文法に沿って、
その文法さえ、ほぼ意識する事もなく文章を書いている傾向にあります。

そこに強いて意識するのは表面的に学んだライティングのテクニックなどで、
まさに、小手先のテクニックばかりが目につくような文章を書いてしまうわけです。

そんな文章では、当然、反応にも売上にも結び付きません。

だからこそ、まずは自分が無意識レベルで内面化してしまった、
その「文法」の認識を、在るべきものに正す必要があります。

これは決して文法というものを完全に1から勉強しなおすという事ではなく、
すでに認識している文法をベースに幾つかのポイントを正していく事ができれば、
それだけでも、文章の在り方や反応は、各段に大きく変わってくるはずです。

そんな「在るべき文章」や「在るべき文章の書き方」などは、
このブログ内でも、その視点に基づく文章講座を公開していますので、
是非、そういった視点で各講座を参考にして頂ければと思います。

>コピーライティング至上主義者の会、コンテンツ一覧へ


文章の在り方と書き方を「文法」から紐解くライティング講座。


ここで言及した「文法」から紐解ける反応の取れる文章の在り方、書き方を

「そこをピンポイントにまとまったコンテンツで一気に落とし込みたい」

という場合は、こちらのような教材をご用意していますので、
もし、ご興味があれば、一度、目を通してみてください。

>Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~


この【Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~】は、
あなたの文章そのものの「質」を、根底から「底上げ」できる。
そんなライティング教材になっていると思います。

今回の記事でお伝えした事に、少しでも思いあたる節があるようなら、
一度、ご案内のページだけでも目を通して頂ければ幸いです。

K.Uzaki

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2021年6月11日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座 文法・品詞

話の「脱線」を有効に活用する文章術と構成テクニック。

話の途中で、どんどん話が「脱線」してしまう人がいます。

これは文章やブログの記事などでも同じで、

・話が内容がまとまっていない
・話の内容やテーマが一貫していない
・話が次々とあちこちの方向に飛んでいる

このような「話の脱線」が見られる文章は決して珍しくありません。

ただ、ブログの記事などでこのような「話の脱線」が頻繁に見られてしまうと
大抵の場合、そのような記事は訪問者を途中で逃がしてしまう事になります。

要するに、話が次々と脱線してしまうようなブログの記事は、
その途中段階で「読まれなくなってしまう」という事です。


話の脱線を有効に活用する文章術。

ブログの記事などは大抵、記事を読んでいる側の「ニーズ」があるため、
基本的には、そのニーズに沿った内容で文章を展開していく必要があります。

例えば、特定のキーワード検索で検索エンジンを介して訪問してくる人であれば、

1:知りたい事などの「キーワード」で検索を行う
2:その「キーワード」に沿った関連記事の一覧が表示される
3:その一覧から知りたい情報が書いてありそうな記事にアクセスする

このようなプロセスを経て、ブログの方に訪問してくるため、
基本的には、そのキーワードに関する情報以外を求めていません。

よって、話の内容が「求めていない話」に次々と脱線しているような記事は、
少なくとも、その時点の訪問者のニーズとは「ズレたもの」になってしまうため、

・自分が求めていない話ばかりが次々と展開されている
・求めている答えに行き着くまでの無駄話が多過ぎる


といった印象になっていきます。

記事の内容がニーズ(求めているもの)と違った方向に話が進んでしまうと、
その時点で、記事(ページ)を閉じられてしまう可能性が生じてくるわけです。

ですが「話が脱線してしまう事」や、話を「(意図的に)脱線させる事」は、
話として、また、文章としても、必ずしも「悪い」わけではありません。

日常的に人との「会話」や「コミュニケーション」を楽しんでいる時は、
それこそ、その会話の内容や話題が次々と脱線していく事が普通だと思います。

むしろ、実際に話をしていて、その話が「面白い」という印象を受ける人の話は、
そのような話の脱線のタイミング、脱線のさせ方が上手い人でもあります。

聞き手がストレスを感じるレベルの、とりとめもない話の脱線はマイナス印象ですが、
聞き手側にストレスを与える事なく、次々と話を脱線させて会話を成立させられる人は、
それが1つの「高いコミュケーション能力」に他ならないわけです。

そして、それは「文章」や「ブログの記事」においても同じであり、
文章やブログの記事における「話の脱線」は、それ自体が悪いわけではなく、
読み手がそこに興味を持っていくような「脱線話」は、むしろプラスにもなります。

SEO対策の観点でも、訪問者を長くブログ内に滞在させる事はプラスになりますし、

「次々と展開される話に、どんどん興味を持ってしまう」

訪問者がこのように感じるブログを作る事が出来ていれば、
より多くのファンやリピーターを獲得していく事にも繋がっていくからです。

つまり「話の脱線」は、その『タイミング』や『脱線のさせ方』によって、
ブログの文章を書いていく上で「有効に活用できる余地もある」という事です。


話の脱線を有効に活用する文章構成のテクニック。

文章を構成する上で重要な事は、結局のところ、

「読み手(訪問者)のニーズに沿った内容や展開を崩さない事」

であり、これが基本原則である事は常に意識する必要があります。

よって、記事の流れの中で話を「脱線」させる場合においては、

・読み手のニーズをシフトさせた上で話を脱線させる
・脱線話のさわりだけを伝えて記事そのものを分けて構成する
・記事の最後で「追伸」を活用する

このようないずれかの「構成」を徹底する事で、
記事内で合理的に話を脱線させていく事が可能になります。

それぞれのテクニックを1つ1つ、解説していきます。

読み手のニーズをシフトさせた上で話を脱線させる

これは話の内容や流れの中で、読み手側の興味や関心を別方向に促し、
その上で、話題を切り替える(話を脱線させる)というテクニックです。

読み手側が、その「脱線話」の方に興味を持っていれば、
そのまま記事を読み進めていくはずですから、そのような構成であれば、

「読み手(訪問者)のニーズに沿った内容や展開を崩さない」

という原則もしっかりと押さえられる形になります。

ですが、これはどちらかと言うと「上級者向け」の記事の書き方で、
先立つ時点(訪問時点)で読み手側が抱いているニーズに対して、

「話の流れの中で、先立つ関心事を上回るような別の興味を引き出す」

というのは、言うほど簡単な事ではありません。

その「脱線」の方向性が、先立つ関心事に近いものや、
その線状にあるものなら、比較的、興味のシフトも容易ですが、
これは内容にもよるため、いずれにしても上級者向けのテクニックと言えます。

脱線話のさわりだけを伝えて記事そのものを分けて構成する

これは記事の途中で「脱線話」のさわりによる「興味付け」をして、
その「脱線話」に興味がある人だけを別の記事に誘導するという構成です。

要するに「脱線話そのものは別の記事で展開する」という事です。

このようにする事で「その話に興味がある人だけ」がリンクを辿り、
とくに興味が無い人は、そのまま、その記事を読み進めます。

結果的に、どちらの訪問者の「ニーズ」も満たせる形になるため、
興味を持った人にだけ、その「脱線話」を展開できる形になるわけです。

記事の最後で「追伸」を活用する

これはひとまず、その記事で「伝えるべき事」は全て伝えた上で、
そこに『追伸』として「脱線話」を展開していく、という構成です。

もともとの記事の趣旨に沿った話は全て伝えた形になっていれば、
そこからの「追伸」では、実質的にどのような話を展開しても問題ありません。

ただ、この「追伸」が、もともとの本文を超えるような文章量になってしまうと、
どちらが「主題」の記事だったのかがよく分からなくなってしまいます。

よって、その「追伸」の方で展開したい話が長くなるような場合は、

「追伸文で一定範囲の興味付けをして別の記事に誘導する」

という2つ目に挙げたテクニックを併せる構成が有効となります。

***

以上、ここで挙げた「3つの構成」が文章やブログの記事で、
話の内容を合理的に「脱線」させていく有効なテクニックにあたります。

実際の文章を書き進めていく中で、

「少し話が脱線してしまうものの、ここでどうしても伝えておきたい」
「この話の流れであれば、こっちの話に興味を持つ人もいるかもしれない」


といった場合に、これらのテクニックは有効に活用いただけるはずです。

いずれにしても、ブログの記事を構成する文章はあくまでも、

「読み手(訪問者)のニーズに沿った内容や展開を崩さない事」

これが重要な原則の1つとなりますので、そこは必ず意識していった上で、
ここで挙げた3つの構成テクニックを有効に活用してみてください。

K.Uzaki

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2021年4月16日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

箇条書きを上手く使う分かり易い文章の書き方とポイント。

分かり易い文章、読み易い文章を書くポイントは幾つかありますが、
その中で誰もがすぐにでも実用できるであろう方法(書き方)の1つが、

「箇条書きを文章内に用いる」

という方法です。

ただ、文章内に箇条書きを用いていく方法は、
幾つかの最低限のポイントを押さえた上でなければ、
逆に分かりにくい文章になってしまう恐れがあります。

そこで、今回のライティング講義は、

「文章内に箇条書きを用いていく場合のポイントと注意点」

というテーマでお届けしていきたいと思います。

箇条書きを上手く使う分かり易い文章の書き方とポイント。


まず、文章内に箇条書きを用いていく場合に注意するべき事は以下の3点です。

・箇条書きの項目数は出来るだけ数を絞り込む
・1つ1つの箇条書きの文章量をできるだけ短くする
・並列的な情報を一律した文章で箇条書きにする

この文章内で早速こうして「箇条書き」を用いましたが、
当然、上記で示したポイントを全て押さえたものになっています。

1つ1つ詳細事項を解説していきます。

箇条書きの項目数をあまり多くし過ぎないようにする

まず1つ目の注意点は「箇条書きの項目数」ですが、
これは出来る限り数(項目数)を絞り込むようにしてください。

そもそも「箇条書き」は大事な要点をまとめて伝える用途が基本のため、
あまりにその項目数が多過ぎると、逆に要点が分かりにくくなるからです。

また「箇条書き」は、通常の文章における「メッセージ」とは異なり、
あくまでも「情報の一方的な羅列」となってしまいます。

本来、文章は読み手側の「心理」や「疑問」などを捉えながら、
それらに沿った内容の文章を構成していくようにする必要があるものの、

「箇条書きで一方通行な情報をひたすら羅列していく」

という構成では読み手の心理や疑問などを無視する事になってしまいます。

それなりの「情報」を提示していけば、読み手側としても、
そこに何かしらの心理に伴う疑問などを抱いていくはずですから、
文章は適度にその答えを示していくような構成になっていなければいけません。

あまりに多過ぎる箇条書きは、それが出来なくなってしまうという事です。

ただ、出来るだけ数を絞るというと言っても1つの箇条書き?では、
そもそも、その情報を「箇条書き」にする意味がなくなってしまいます。

よって、最低限の箇条書きの数として2つや3つの箇条書きのであれば、
まず、読み手側に「多い」という感覚を与える事はないはずです。

ただ、4つ、5つの箇条書きは内容次第では「多い」という印象になるため、
その場合は2つ目の注意点として挙げた「文章量」が重要になってきます。

よって6つ以上になってくると、これは箇条書きとしては多いと思いますので、
どうしても箇条書きとして「6つのほどの要点」を伝える必要がある場合は、

・箇条書きにして示す題目や視点を変えて別々の箇条書きで示す
・箇条書きにして示す複数の情報をまとめ出来るだけ数を絞り込む
・箇条書きではなく通常の文章で1つ1つを伝えていく


このいずれかの方法を取るべきだと思います。

***

また、日常的な「会話」で何かの情報や説明を受ける場合でも、
その要点だけをひたすら一方的に羅列されるような話し方をされた場合、
2つ、3つ、多くて4つ、5つあたりまでは頭の中に入るかもしれませんが
それ以上になってくると、やはり情報を頭で整理できなくなると思います。

そのような説明が「分かり易い」とはまず思わないはずですから、
それは文章においても「同じ」という事です。

1つ1つの箇条書きの文章量をできるだけ短くする

これも理由は先立って解説した「多過ぎる箇条書き」とほぼ同じであり、
箇条書きは、一方的な「情報の羅列」という形になる事から、
その1文1文があまりに長すぎる形になってしまうと、
やはり「分かりにくい」という印象を与えてしまいます。

基本的に「箇条書き」を示した場合においては、
私がこの記事で行っているように、その1つ1つに対して、
補足を加えていく構成が望ましいため、

「追って補足を加える前提」

であれば、先立つ箇条書きに多くの情報を詰め込む必要はありません。

まさしく「要点のみ」を手短な一文で示せば問題はないため、
箇条書きの一文は「一行の文章」にまとめるのが望ましいと思います。

並列的な情報を一律した文章で箇条書きにする

基本的に「箇条書き」にあたる形で示していく情報は、
その箇条書きの前提となるものに対して並列的な情報を示すべきであり、

・並列的ではない情報
・一律されていない文章


などが混じると、それが「違和感」の原因となります。

例えば「文章の書き方」をテーマとする書籍を紹介する記事で、

「この本で何を学べるのか」

という前提で示した箇条書きが以下のようなものだったとします。

・正しい文法に沿った文章の書き方が分かる
・長い文章を苦痛なく書けるコツが分かる
・筆者の経歴に共感できる
・何を書けば迷う事がなくなる方法とは


まず、最初の2つは「学べる事」が率直に示していますが、
3つ目の「筆者の経歴に共感できる」という箇条書きの一文は、
何を学べるのか、という前提とはズレた内容になっています。

また4つ目は、この一文だけが「問いかけ」となっているため、
先立つ箇条書きの文章に対して、明らかに「違和感」があると思います。

よって、ここで例を挙げた箇条書きは、

・正しい文法に沿った文章の書き方が分かる
・長い文章を苦痛なく書けるコツが分かる
・何を書けば迷う事がなくなる方法が分かる


または、

・正しい文法に沿った文章の書き方とは
・長い文章を苦痛なく書けるコツとは
・何を書けば迷う事がなくなる方法とは


このような形であくまでも「並列的な情報のみ」を、
一律した文章で示す形が望ましいという事です。

箇条書きを上手く使う分かり易い文章の書き方とポイント。まとめ


以上の通り、文章内に「箇条書き」を用いていく場合は、

・箇条書きの項目数は出来るだけ数を絞り込む
・1つ1つの箇条書きの文章量をできるだけ短くする
・並列的な情報を一律した文章で箇条書きにする

この3つのポイントを押さえた上で、
あまりに多過ぎる箇条書きや長文過ぎる箇条書きは、
出来るだけ「数」と「文章量」を押さえるようにしてください。

是非、参考にして頂ければと思います。

K.Uzaki

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2021年3月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

ですます調,だである調,どちらの語尾で文章を使い分けるべきか

文章の書く上での「口調(文体)」として、

です・ます調:~です。~ます。を語尾にする文章
だ・である調:~だ。~である。を語尾にする文章

この2つのどちらかの口調(文体)が基本となるはずですが、

「どちらの口調で文章を書いた方が良いのか」
「2つの口調をどう使い分ければ良いのか」


といったご質問、ご相談を頂く事がありますので、
今回は、これらの文章上の「口調」について解説していきます。


「です・ます調」「だ・である調」はどちらで文章を書くべきか


このブログの記事は全般的に「です・ます調」書かれています。

これは単純に「だ・である調」よりも「です・ます調」の方が、
このようなブログの文章に適しているため、そうしているのですが、
基本的な考え方として「です・ます調」が適しているのは、

「親近感を与えて読み手との距離感を縮めたい場合」

であり、いわゆる「ブランディング」を図りたいのであれば、
それを目的とする文章は「です・ます調」が適しています。

一般的な感覚として「だ・である調」の文章は、
どうしても「堅い」という印象から距離を感じさせてしまいます。

対して「です・ます調」は、口頭上での口調にも近いため、

「書き手がそのままその話を自分にしてくれている感覚」

を与えられる点で、必然的に「親近感」を与える事ができます。

例えば以下は、私のこのブログ内に投稿されている、
ヘッダーメニュー内の『はじめに』のコンテンツの文章ですが、

このブログはフリーのコピーライターとして活動している
私、K.Uzakiが首謀するコピーライティング至上主義者のための
コピーライティングに重きを置くビジネス講座中心のブログです。

私自身はまだまだ駆け出しのフリーライターですが、
私の師匠はこの業界でも知る人ぞ知る
年収5億円超えという屈指のトップライターです。

実名などは一切出さず、決して表に出る事の無い人物ですが
その実力と実績は間違いなく業界トップクラスです。

このブログではそのトップライターのスキルやテクニックなども
存分に学んで頂ける質の高いビジネス講座を展開しています。

「我こそはコピーライティング至上主義である。」

そんな意識の高いあなたには多くのノウハウを学んで頂けるかと思います。

こちらをそのまま「だ・である調」の文章に差し替えると、

このブログはフリーのコピーライターとして活動している
私、K.Uzakiが首謀するコピーライティング至上主義者のための
コピーライティングに重きを置くビジネス講座中心のブログだ。

私自身はまだまだ駆け出しのフリーライターだが、
私の師匠はこの業界でも知る人ぞ知る
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実名などは一切出さず、決して表に出る事の無い人物だが
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このブログではそのトップライターのスキルやテクニックなども
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「我こそはコピーライティング至上主義である。」

そんな意識の高いあなたには多くのノウハウを学んで頂けるはずだ。

となります。

双方を読み比べて頂くと、やはり「だ・である調」の文章は、
どこか「上から目線」に感じてしまう文章になっていると思います。

何より、このコンテンツの文章は「挨拶」に近い位置付けにあるわけですが、
リアルな場における初見の挨拶で「だ・である調」で話をしてくる人はまずいません。

仮に初見の挨拶が「だ・である調」だったなら、違和感しかないと思いますし、
まず間違いなく、そんな挨拶をする人に親近感は持てないと思います。

要するに、このようなブログの文章に関して言えば、

「読み手との距離感を縮めて親近感を抱いてもらう事」

が文章の「精読率」や「反応」にも直結していく事になるため、
やはり「です・ます調」が適しているという事です。

逆に、強いて親近感や距離感を縮める必要がないような文章を書く場合で、

「客観的な事実を淡々と伝えていきたい」

という場合などは「だ・である調」の文章が適しています。

要するに、どこの誰が書いている文章なのか、といった点を含めて、
書き手側の人物像などをあえてイメージさせたくないような場合においては、
あえて「だ・である調」で文章を書いていけば良いという事です。


「だ・である調」と「です・ます調」の使い分けは不要


ただ、基本的に「自分からのメッセージ」という前提の文章において、
ここで言う「だ・である調」「です・ます調」が混在するような文章は、
単純に「違和感」の原因になり、間違いなく文章の反応を下げてしまいます。

それこそ、このようなブログの記事を構成するような文章は、

「ブログ運営者が訪問者に対して発しているメッセージ」

にあたりますから、その文章内で口調がコロコロ変わってしまうと、
書き手側の人物像やイメージも一貫しないものになってしまい、
まさに「親近感」や「臨場感」を薄れさせる原因になってしまいます。

例えば、先ほど示した『はじめに』の文章で口調を混在させると、

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そんな意識の高いあなたには確実に多くのノウハウを学んで頂けるはずだ。

このように1つ1つの文章で、書き手の人格が入れ変わっているような、
かなり違和感のある文章になってしまっている事がお分かり頂けるはずです。

また、これもリアルな場で、このように口調がコロコロ変わる人がいた場合、
違和感と共に「怖い」という印象を抱いてもおかしくないと思いますから、
それは文章においても、全く「同じ」という事です。

ただ、このような「だ・である調」と「です・ます調」が混在する文章は、
意図的ではない形で、そういう文章を「書いてしまっている場合」があります。

ですが、そのような文章は意識的に読み返す事で、自分自身が、
口調が一貫していない文章への「違和感」に気付けるはずですから、

・ブログなどにおける文章は「です・ます調」の一環を心がける
・「だ・である調」「です・ます調」が混在する文章は避ける


この2点は、ブログなどの文章を書き始めの事は注意してみてください。

以上、です・ます調、だ・である調についてお話しさせて頂きました。

是非、参考にしてください。

K.Uzaki

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2021年3月11日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

コピーライティング視点の常用漢字、ひらく漢字の使い分け。

文章を書いていく場合において、

・漢字
・ひらがな


この使い分けが「読み易さ」や「印象」を左右します。

漢字が多すぎる文章や、難しい漢字を多用してしまうと、
その文章は読み難くなり、分かりにくくなると言われていますが、
あまり「ひらがな」だらけの文章も、やはり読み難いのが実情です。

では、どのくらいのレベルで「漢字」を用いていくべきなのか。

ここでは、そんな「漢字」と「ひらがな」の使い分けを解説していきます。

コピーライティング視点の常用漢字、ひらく漢字の使い分け。


まず、私がここで「文章の前提」として解説していくのは、
このようなブログ記事における文章やメールマガジンの文章など、

「不特定多数の人がウェブやメールなどを介して読む事になる文章」

を対象にしていますので、まさに、このブログのテーマでもある、
コピーライティングにおける視点での解説が基本となります。

その文章の「前提」によって、文章の在るべき形や目的も変わりますから、
それによっても漢字とひらがなを使い分ける視点は変わってくるという事です。

ただ、どのような文章にも共通して言える事としては、

・読み易い文章
・分かり易い文章


これらをしっかりと意識するのは共通する「大前提」であり、
これを疎かにしても良い文章というのは基本的に無いはずです。

その上で「漢字」には「常用漢字」とされるものがあり、

「法令文」「公用文」新聞」

などにおける文章は、この「常用漢字」のみが使われているため、
この「常用漢字」に含まれているような漢字については、
一定数の人が「読み慣れている文章」に用いられている事になります。

また、そのような背景も含めて、ネット上に多く見られるような文章も、
大抵は、その「常用漢字」の範疇で文章が構成されている傾向にあるため、

・常用漢字に含まれる漢字は用いる
・常用漢字に含まれていない漢字は用いない


というのが、1つの水準的な境界線になると思います。

(常用漢字の一覧についてはネットで容易に観覧できますので、
 あえてここで漢字をただ羅列していくだけの一覧表は載せません)


ただ「常用漢字」は、それ自体があくまでも常用的な漢字の「目安」であり、
常用漢字に含まれていない漢字を用いた文章が「不適切」というわけではなく、
また、常用漢字を「ひらがな」にする事が間違いというわけでもありません。

また、常用漢字に含まれている漢字の中には

「ひらく漢字」(漢字表記をひらがなにするべき、とされる漢字)

とされるものもあり、このような「ひらく漢字」は一般的に、
ひらいた方が(ひらがなにした方が)文章が読み易くなると言われています。

ですが、ここで挙げたような「常用漢字」や「ひらく漢字」などは、
まさに、法令文、公用文などのような、そこに書かれた文章の「全て」が、
読み手側に「滞りなく読まれる事」を前提としているものであって、
このような前提は、少なくともブログなどの文章には全く当てはまりません。

確かに一語一句、その文章が滞りなく読まれる事が前提なのであれば、

「認知度の高い漢字を適度に用いる」

といった視点で「常用漢字」「ひらく漢字」を意識した文章が、
読み手側が文章を読み進めるストレスの軽減などにも繋がると思い案す。

ですが、このようなブログやメルマガなどに用いる文章においては、

・文章が途中で読まれなくなってしまう可能性
・文章全体を「流す」ように読まれてしまう可能性


これらを前提とする「配慮」が必要不可欠であり、更にその上で、
読み手側の「反応」についてもしっかりと意識しなければなりません。

よって、ブログやメルマガなどにおける文章では、

・「文章の読み易さ」を捉える視点
・「文章への反応」を捉える視点


この2つの視点において漢字とひらがなの使い分けを
十分に意識して文章を作成していく必要があるという事です。


文章の「読み易さ」と、その「反応」を意識する。

基本的に「漢字」には、その漢字そのものに「意味」があり、
多くの読み手側は、その「漢字」を認識している限りは、
その「意味」も併せて認識している事になります。

故に、文章内に「読み手側の認識内にある漢字を示す事」は、
その前後の文章が仮にしっかりと読まれていない前提においても、
その漢字の一語を読み手側の目に触れさせる事ができた時点で、

「その漢字における意味や印象を読み手側に認識させる」

という事が可能になるわけです。

例えそれが「常用漢字」や「ひらく漢字」に該当する漢字であっても
その漢字によって読み手側に与えられる「認識」や「印象」を重視する場合は、
意図的に、その漢字を用いる事が「効果的」となるケースもありえます。

例えば、以下の文章例をそれぞれ読み比べてみてください。

なぜ、あなたは文章を書くことに苦手意識を持っている人が多いのか。

何故、あなたは文章を書く事に苦手意識を持っている人が多いのか。

何故、あなたは文章を書くことに苦手意識を持っている人が多いのか。

これらの例文における『何故(なぜ)』『書く事(書くこと』は、
一般的にはひらく漢字(ひらがなにするべき漢字)とされているものです。

このような「1行のみの例文」として示される範囲では、
いずれも、そこまで大きな差はないように思えるかもしれませんが、
一般的に言われる「読み易さ」の観点や「漢字の多用を避ける」という点では、

「なぜ、あなたは文章を書くことに苦手意識を持っている人が多いのか。」

こちらの「ひらくべき漢字をひらいた文章」が適切という事になります。

ですが、ブログやメルマガなどの文章内において示す1行の文章としては、
読み手側が文章全体を「流す」ように読んでいる可能性があるため

『なぜ』 → 『何故』

としておく方が、この「2文字」が目に止まるだけでも
その「意味」をそのまま認識させた上で印象付ける事ができます。

よって、このような文章であれば、私は「ひらく漢字」とされる「何故」を、
そのまま「何故」という漢字で文章に用いる事が多いのですが

『書く事』『書くこと』

については「こと」が単一の語ではなく『書く事』で、
読み手側も解釈する可能性が高いと考えられます。

よって、こちらはとくに漢字を用いた上での印象に違いは生じないため
文章に漢字の割合が多い点からも漢字をひらいて『書くこと』を用います。

つまり、私がこの3つの例文の中で採用するとすれば、

「何故、あなたは文章を書くことに苦手意識を持っている人が多いのか。」

という事です。


漢字とひらがなは「読み易さ」と「印象」を捉えて使い分ける。


このように「常用漢字」や「ひらく漢字」などは、
全て文章において、必ずしもその規範に従う必要はありません。

少なくとも、ブログやメルマガなどの文章においては、
漢字の使い方で文章そのものの「印象」も変わってくる事から、

・「文章の読み易さ」を捉える視点
・「文章への反応」を捉える視点


この2つの視点において「漢字」と「ひらがな」で、
どちらを用いる方が効果的かを意識するようにしてみてください。

コピーライティング視点の常用漢字、ひらく漢字の使い分けについてでした。

是非、参考にしていただければと思います。

K.Uzaki

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2021年2月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

【ウェブコピーの書き方】疎かにしがちな文章作成における2つの原則

宇崎です。

このブログでは「コピーライティング」を主に扱っていますが、
コピーとは「広告を担う文章」であり、それを書くスキルが、
まさにその「コピーライティング」に他なりません。

つまり、コピーライティングにおける「コピー」は、
それによって「営利」を求める文章であるという事です。

そして、そのような文章(ウェブコピー)においては、
少なからず押さえなければならない原則と言えるものがあります。

それを言及していくのがコピーライティングでもあるのですが、
今日はそんなウェブコピーにおいて押さえる必要がある原則として、

・常に「本題との繋がり」を意識しなければならない
・常に「話の繋がり」を意識しなければならない


この2つのポイントを講義していきたいと思います。

営利目的の文章は常に本題との繋がり、話の繋がりを意識する


ちなみに今回の講義で言及していくこの2つの原則は、
営利目的の文章、ウェブコピー全てに共通する重要なものでありながら、
多くのライター、アフィリエイターが押さえられていないものです。

それだけに、私や師匠がクライアントの記事の添削に応じる際なども、
この原則に準じた然るべき添削を行う事が非常に多い傾向にあり、
それだけ多くの人がこの重要な原則を押さえる事が出来ていません。

そもそもの前提として、それを意識できていない傾向にあるわけです。

・常に「本題との繋がり」を意識して文章を構成する事
・常に「話の繋がり」を意識して文章を構成する事

これがその然るべき重要度の高い原則にあたるわけですが、
逆にこれらの原則を押さえられていない文章、ウェブコピーは、

「本題との繋がりがよく分からない文章」
「話が繋がっていない文章」


になってしまうため、このような文章やウェブコピーは、
当然ですが、読み手側の反応を落とす事に繋がってしまいます。

基本的に営利を目的とする文章、ウェブコピーは、
読み手側の「利」を前提に構成するものであり、

・集客(検索エンジン対策)を目的とする文章
・ブランディング(信頼構築)を目的とする文章
・セールス(商品のアピール)を目的とする文章


このいずれにおいても実際に文章を読み進めていく事となる、
その読み手側の「利」に話が結び付いていなければなりません。

そうでなければ、営利を目的とする文章、ウェブコピーは
根本として読まれない、関心を持たれない傾向にあるからです。

故に、営利を目的とする文章、ウェブコピーは冒頭段階で、
どのような情報(利)を提供する文章なのかをまず明確にして、
その文章そのものへの「興味」を抱かせる必要性があり、
その上で、文章を読み進める意欲を引き出す必要があります。

これが俗に言われる「興味の壁」と呼ばれるものですが、
営利を求めるウェブコピーにおいては、その壁を超えるために、
まず、読み手側の「利」を明確にする必要があり、
読み手側はその「利」を求めて文章を読み進めていくのです。

言い方を変えれば、自分の利に結び付かない文章やウェブコピーを、
あえて意欲的に読み進めるような人はほぼ「いない」に等しく、

・その文章を読み進める事で自分に何らかの利がある
・自分の好奇心、興味、関心を満たせる答えがある


といった意識があってこそ、その文章やウェブコピーを読み進めます。

だからこそ、その「利」や「答え」を言及する文章である事を、
その冒頭部分でまず認識させる事がまず重要になるのですが、
その時点で読み手側はその「利」や「答え」を求める意識となり、
それに関連する話のみを率直に求める心理状態になるのです。

逆に言えば、それ以外の話は求めていないという事になり、
その「求めていない話」が文章の中で展開されると、
当然、読み手側は「つまらない」という印象を抱き始めます。

自ら求めている情報がある中で求めていない話をされるのですから、
その「求めていない話」を退屈に感じるのは当然ではないでしょうか。

そうであるからこそ、営利を目的とする文章、ウェブコピーは
シビアに1つ1つの文章を読み手側の「利」に結び付ける必要があり、
読み手側にその繋がりを認識させていく必要があるのです。

そして、そのために押さえるべき原則が、

・常に「本題との繋がり」を意識して文章を構成する事
・常に「話の繋がり」を意識して文章を構成する事

この2つのポイントにあたるわけです。


全ての話を読み手側の「利」に結び付ける。


基本原則として営利を目的とする文章、ウェブコピーにおいては、
その冒頭部分でまずはその文章の「趣旨」を明確にして、

「どのような利(情報)を与えるための文章なのか」

を読み手側にしっかりと認識させる必要があります。

その認識こそが読み手側の「興味の壁」を越え、
その文章、ウェブコピーを読み進める意欲に繋がるからです。

そして、それ以降に構成していく文章においても、
その1つ1つの文章の全てを先立つ「趣旨」に結び付け、
その繋がりを認識できる文章にしていかなければなりません。

その「趣旨」こそが、その文章における「本題」であり、
営利を目的とする文章においては、常にその「本題」に対して、
1つ1つの文章の全てを結び付けていかなければならないのです。

その「本題との繋がり」を読み手側に認識させていってこそ、
全ての文章が常に読み手側の求める情報や利に結び付く事となり、
退屈さを感じさせる事のない「読まれる文章」になっていくからです。

また、常に「話の繋がり」を認識できる文章にする事も重要であり、
話が途切れているような印象や飛んでいるような印象を与えてしまうと、
そのような印象を与える度に文章の反応は下がってしまう事になります。

常に前文に対して、追って示される文章の「繋がり」を認識できるように、
話の繋がり、関連性を読み取れる文章を構成しなければならないという事です。


常に話の流れ、繋がりを認識させる。


これは一見、当たり前の事のように思えるようなポイントですが、
実状として多くの文章、ウェブコピーがこの原則を押さえられていません。

書き手側としては、繋がり、関連性のある話をしているつもりでも、
それが読み手側に認識されない文章になっている事が非常に多いんです。

例えば以下のような文章がここで言うような
話の繋がりや関連性を認識しにくい文章にあたります。

私はネットビジネスでは、コピーライティングが非常に重要だと思っています。

インターネットでモノを売っていく上で、コピーライティングのスキルは必要不可欠だと思います。

この文章では、

・ネットビジネスでコピーライティングが重要である事
・ネットでモノを売っていく上でコピーライティングが不可欠である事


このような2つの主張を並列的に伝えているようにしか見えないため、
2つの主張に確固たる繋がり、関連性を認識する事が出来ません。

要するに2つの考えを一方的に伝えただけの文章になってしまっています。

対してこの2つの文章からなる例文を話の繋がり、
関連性を認識できるように改善を図った文章が以下です。

私はネットビジネスでは、コピーライティングが非常に重要だと思っています。

何故なら、インターネットでモノを売っていく上で、コピーライティングのスキルは必要不可欠だと思うからです。

この改善文のように『何故なら』という接続詞から始まる

「理由付け(~だと思うからです)」

を前提とする文章にする事で、
1つ目の文章(主張)に対して2つ目の文章が
先立つ主張の根拠を示す文章となっている事が明確になり、
その繋がり、関連性をより認識しやすい文章になったはずです。

実際に文章、ウェブおぴーを構成していく際においては、
このように1つ1つの文章の繋がり、関連性を
読み手側がしっかりと認識できる文章にする必要があり、
そのような文章こそがその反応を高められるという事です。


営利を目的とする文章の反応を高める2つの原則。総括


以上の通り、営利を目的とする文章、ウェブコピーにおいては、

・読み手側が常に本題との繋がりを認識できる文章にする事
・同じく読み手側が常に話の繋がりを認識できる文章にする事

この2つの原則を押さえていく必要があり、

「本題との繋がりがよく分からない文章」
「話が繋がっていないように感じられる文章」


このような文章、ウェブコピーは当然、反応を下げてしまいます。

ただ、この2つの原則を押さえた文章を書いていく事は、
当たり前のように「出来ている」と思ってしまいがちです。

しかし、実際はそうではなく上記の2つの原則は、
書き手がそのような文章を書いているつもりであっても、
読み手側にそれが認識できないものになっている傾向にあり、
それでは、この原則を押さえた事にはなりません。

本題との繋がり、文章の繋がり、関連性は、
読み手側がそれを認識できるように構成する必要があり、
それを読み手側が明確に認識できる文章を構成していってこそ、
その文章、ウェブコピーは高い反応を得られるものになるという事です。

これらは一見、当たり前のようなポイントに思えるものですが、
しっかりと読み手側にそれを認識させられる文章を意識し、
1つ1つの文章を構成していく事を心掛けていくようにしてください。

営利を目的とした文章、ウェブコピーを実際に作成していく上で、
意外に多くのライター、アフィリエイターが出来ていない、
非常に重要な原則と言えるものになりますので、
これらを押さえていくだけでも文章の反応は変わらずはずです。

是非、参考にして頂ければと思います。

K.Uzaki

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2017年10月21日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

同じ語尾が続く単調な文章に「メリハリ」を付けるテクニック。

宇崎です。

文章には「緩急」や「メリハリ」が必要であり、
これらが欠けてしまっているような文章は、

「つまらない文章(面白みのない文章)」

という印象を与えてしまいます。

ただ、この「緩急」や「メリハリ」にあたるものは、
その文章の内容そのものによって演出できるものであると同時に、
文章の「語尾」によっても印象付けられるものなんです。

言い方を変えれば、文章の緩急やメリハリといったものは、
文章の語尾がどうなっているかで変わってくるものでもあり、

・単調な印象を与えてしまう文章
・メリハリのある印象を与えられる文章


この「印象」を文章の語尾が左右すると言っても過言ではありません。

では、どのような語尾の文章が単調な印象を与えてしまい、
どのような語尾の文章がそうではない印象を与えられるのか。

今日は、その辺りのポイントを講義してみたいと思います。

同じ語尾が続く単調な文章に「メリハリ」を付けるテクニック。


まず、ここで言う文章の「語尾」というのは、

「。(句点)」

を1つの文章の「終わり」と定義した上での、
1つ1つの文章の終わりを構成する最後の部分を指します。

この記事の冒頭文で言えば、以下の赤字の部分ですね。

文章には「緩急」や「メリハリ」が必要であり、
これらが欠けてしまっているような文章は、

「つまらない文章(面白みのない文章)」

という印象を与えてしまいます。

ただ、この「緩急」や「メリハリ」にあたるものは、
その文章の内容そのものによって演出できるものであると同時に、
文章の「語尾」によっても印象付けられるものなんです。

言い方を変えれば、文章の緩急やメリハリといったものは、
文章の語尾がどうなっているかで変わってくるものでもあり、

・単調な印象を与えてしまう文章
・メリハリのある印象を与えられる文章


この印象を文章の語尾が左右すると言っても過言ではありません。

上記の『ます』『です』『ません』などが、
ここで言う文章の「語尾」にあたるわけですが、
基本的に、この「語尾」に同じものが続く文章は、

「メリハリの無い単調な文章」

という印象を与えてしまう傾向にあります。

文章の内容を問わず、同じ語尾の文章が続いているだけで、
その文章は、どこか単調で稚拙な印象を与えてしまうのです。

例えば以下のような文章。

私は山に登ります。

そして、キノコを採ります。

山菜も採ります。

ただ、日によっては登るだけで何も採らずに帰ってくる事もあります。

そもそも私は健康を考えて、散歩のために山に足を運んでいます。

全ての語尾が「ます」になっているため、
やはり、どこか単調な印象を覚えてしまうはずです。

あえて例文として顕著なものを示していますが
実際にこのような同じ語尾が一辺倒に続く文章は、
ネット上のブログなどを見ても決して少なくはありません。

少なくとも、上記に挙げたような文章であれば、
以下のように構成するだけで文章の印象は大きく変わります。

私は山に登ってキノコや山菜を採る事もありますが、日によっては登るだけで何も採らずに帰ってくる事もあります。

何故なら、私が山に足を運ぶ目的は健康を考えての「散歩」だからです。

この文章で伝えている(伝えたい)事は、

・自分(私)は山登りをしているという事
・その際にキノコや山菜を採っている事
・ただ、何も採らずに帰ってくる時もあるという事
・山登りの目的は健康を考えての散歩である事


この4点ですので、どちらの文章例においても、
この4点はしっかりと伝える事が出来ているはずです。

構成としては、

・自分(私)は山登りをしているという事
・その際にキノコや山菜を採っている事
・ただ、何も採らずに帰ってくる時もあるという事


この3点を、

私は山に登ってキノコや山菜を採る事もありますが、日によっては登るだけで何も採らずに帰ってくる事もあります。

接続助詞(~ますが)などを用いて1つの文章に構成し、

『何も採らずに帰ってくる事もある』

という主張に対しての「理由付け」として、

何故なら、私が山に足を運ぶ目的は健康を考えての「散歩」だからです。

という文章を構成する事で、結果的に語尾に変化が生まれ、
文章そのものにも緩急、メリハリが付いたわけです。

ただ、ここで重要なのは、

『その文章で最も強調して伝えたい事は何なのか』

という事であり、その「強調するべきポイント」によって、
然るべき文章の構成は少なからず変わってきます。

少なくとも、この例文においては、

・自分(私)は山登りをしているという事
・その際にキノコや山菜を採っている事
・ただ、何も採らずに帰ってくる時もあるという事


この3点は言わば「前フリ(前置き)」に近いものであり、
主張における実質的な「結論」にあたるものは、

『山登りの目的は健康を考えての散歩である』

という、この「山登りの理由」にあたる情報です。

故に、この事を伝える文章を構成する上では、

・自分(私)は山登りをしているという事
・その際にキノコや山菜を採っている事
・ただ、何も採らずに帰ってくる時もあるという事


この3つの情報は1つに「情報」としてまとめても問題はなく、
むしろ、これらの情報を「フリ」として構成するのが適切と言えます。

その「フリ」に対して『山登りの理由』を示す構成にする事で、
結果的に文章に緩急が付いて、メリハリが生まれるという事です。


その一文の結論(何を伝えたいのか)を前提に緩急を付ける。


もう1つ例文を挙げて見ます。

今日は娘が晩ごはんを作ると言いました。

そして、私が大好きなカレーライスを作りました。

予想以上のおいしさに私は驚きました。

見ての通り、語尾が全て「ました」であるため、
やはり、文章にメリハリが無く単調な印象を覚えます。

ただ、実際にこのような「出来事」を延べるような文章では、
このような同じ語尾が続く文章が非常に多い傾向にあるんです。

対して、以下がこの例文に対しての改善例になります。

今日は娘が晩ごはんを作ると言って、
私が大好きなカレーライスを作ってくれました。

その予想以上のおいしさに私は驚いてしまったのです。

この例文で伝えている(伝えたい)ポイントは、

・娘が晩ごはんを作ると言った事
・私の好きなカレーライスを作ってくれた事
・そのおいしさが予想以上で驚いた事


この3点ですが、やはり結論として伝えたい事は、

『娘の作ったカレーが予想以上においしくて驚いた』

という事だと思います。

少なくとも、それが趣旨(目的)の文章を構成するのであれば、

・娘が晩ごはんを作ると言った事
・私の好きなカレーライスを作ってくれた事


この2点はあくまでも前置き(フリ)として構成するべきであるため、

今日は娘が晩ごはんを作ると言って、
私が大好きなカレーライスを作ってくれました。

という構成で、その出来事を1つの文章で伝えれば十分だと思います。

その上で、この文章でしっかりと伝えたいポイントである、

『そのカレーが予想以上においしくて驚いた』

という情報を、

その予想以上のおいしさに私は驚いてしまったのです。

という構成で結論(結果)として示せば、
前フリとなる情報と、その結果を表す情報が鮮明になり、
文章そのものにも「緩急」と「メリハリ」が付くわけです。


同じ語尾が続く単調な文章にメリハリを付ける方法。まとめ


上記に示した2つの例文からも分かるように、
同じ語尾が続いてしまう単調でメリハリの無い文章は

「その文章で最終的に伝えたい事(結論)」

が曖昧であり、どの情報が「前フリ」にあたるもので、
どの情報がその「結論(伝えたい事)」にあたるものかが、
文章からは読み取れないような構成になっている傾向にあります。

つまり、文章を書く側がそこを意識できていないため、
全ての情報をただ淡々と伝えてしまっている事から、
結果として、同じような語尾の文章が単調に続いてしまうのです。

よって、実際に文章を構成していく際においては、

・その文章で最終的に伝えたい事は何なのか
・それを伝えるための前フリとなる情報は何なのか


これをまずはしっかりと線引きするべきであり、
その上で、その前フリ、結論に見合う文章を
それぞれ意識的に構成するようにする事をお勧めします。

単純に同じ語尾が続かないように文章を構成するのアリですが、
語尾だけを変に意識して文章を構成していくよりも、
上記を意識して在るべき形に文章を構成していくようにした方が、
結果として緩急の付いた文章を自然に書けるはずだからです。

是非、参考にしてみてください。

K.Uzaki

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2017年7月19日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座

接続詞の正しい使い方と文章構成の原則。

宇崎です。

文章において読み手を「反応」させるには、
読み易く、分かり易い文書を書く事が必要不可欠です。

そして、その為には当然、読み手がスムーズに読める文章、
スムーズにその内容を理解できる文章を書き上げる必要があり、
そこで重要な役割を担うのが「接続詞」と呼ばれるものです。

「だから」「ゆえに」「したがって」「よって」「しかし」「また」
「つまり」「なぜなら」「そして」「ところで」「要するに」「ただし」

これらのような文と文を繋ぐ役割を果たすものが「接続詞」であり、
基本的には文章の頭に付けるものを「接続詞」として扱い、
この「接続詞」を使って読み易く、分かり易い文章を作るポイント、
そのための原則などをここで講義していきたいと思います。

接続詞の正しい使い方と文章構成の原則。


基本的に「接続詞」は、その接続詞のみを捉えるだけで、
読み手側は、それ以降に構成される文章が

「どういう視点で展開されるものか」

を率直に「認識」できるようになるため、
より文章そのものが「理解」しやすくなります。

その文章が前の文章に対しての理由付けや補足を示すものなのか、
もしくは、結論を示すものなのか、対立的な主張を示すものなのか。

その文章の頭に付いている「接続詞」を目にするだけでも、
その一文が前文に対して、どのような関係性を前提に展開されるのかが
少なからず「読み取る事が出来るようになる」ということです。

例えば、

「よって」「したがって」

などの接続詞が頭についている文章においては、
前文までの主張を結論付けるものである事が認識できるはずですし、

「しかし」「ところが」「ですが」

などの接続詞が頭についている文章においては、、
対立的な主張を展開していくものである事が認識できるはずです。

このような率直な「認識」が文章の理解度を、
全体的に高められる事に繋がるというわけですね。

故に、この「接続詞」にあたるものは、
その接続詞そのものが読み手側に然るべき「解釈」を与え、

「その後に続く文章がどういった視点で展開されるものか」
(前文に対して、どのような関係性を前提に展開されるのか)


を「認識」させる事に繋がるものであることから、
そこで誤った認識を与えてしまう事は「違和感」の原因になります。

だからこそ「接続詞」は、その文章の流れ、内容に沿った形で、
その流れ、内容に沿ったものを正しく用いていく必要があるのです。


接続詞は文章の流れ、内容に沿った適切なものを用いる。


そんな「接続詞」を正しく用いていく上でのポイントとしては、
接続詞における主な「役割」を押さえておく必要があります。

それが以下のような接続詞における「5つの主な役割」です。

・順接(因果):前文に対して、結果、結論を示す文章に用いる
・逆説(相反):前文に対して、対立した主張を示す文章に用いる
・並列(付加):前文に対して、同列の主張を挙げる、加える
・説明(補足):前文に対して、補足、説明を加える文章に用いる
・選択(対比):前文に対して、選択、対比を担う文章に用いる


以下、それぞれの役割に応じた接続詞とその具体例です。

順接(因果):前文に対して、結果、結論を示す文章に用いる
「だから」「それで」「ゆえに」「したがって」「よって」など

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
だから(ゆえに)、コピーライティングを勉強する事にした。

逆説(相反):前文に対して、対立した主張を示す文章に用いる
「しかし」「ですが」「ところが」「とはいえ」「それでも」など

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
それでも、コピーライティングに重きを置く事は避け続けた。

並列(付加):前文に対して、同列の主張を挙げる、加える
「そして」「また」「その上」「さらに」「加えて」など

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
また(そして)、それはコピーライティングの重要性に気付くきっかけにもなった。

説明(補足):前文に対して、補足、説明を加える文章に用いる
「つまり」「なぜなら」「ただし」「要するに」「いわば」など

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
つまり、コピーライティングこそが重要性なスキルであるという事に気付いたのだ。

選択(対比):前文に対して、選択、対比を担う文章に用いる
「または」「あるいは」「それとも」「むしろ」「もしくは」など

アフィリエイトで稼ぎたいなら、コピーライティングを学ぶべきである。
もしくは(あるいは)、文章力を必要としないビジネスにシフトチェンジするべきだ。

細かく書き出すと、接続詞の「役割」と言えるものは、
上記に挙げたもの以外のものが無いわけではありません。

ですが主にはここで挙げた5つの役割を押さえておいた上で、
然るべき接続詞を用いるようにしていけば、
普通に文章を構成していく上で困る事は無いはずです。

つまり、接続詞を正しく用いてポイントとしては、
上記に挙げたような「役割」を踏まえた上で、
その文章の流れ、内容に応じた然るべき「接続詞」を
しっかりと正しく用いていくようにすれば良いという事です。


接続詞は文章の流れ、内容に沿った適切なものを用いる。


また、ここで解説させて頂いた、

「然るべき接続詞を正しく用いていく」

という事を大原則とした上で「接続詞」においては、
以下の2つのポイントも併せて押さえていくようにしてください。

・同じ接続詞を連続して用いないようにする
・構成的に使わなくても良い接続詞は示さないようにする

まず、接続詞を用いて文章を構成していく場合に、

「そして・・・」「そして・・・」「そして・・・」

といったように同じ接続詞を連続して多少してしまうと、
文章自体がメリハリのない違和感があるものになってしまい、
これも単純に文章の反応を下げてしまう要因となります。

何より、このような同じ接続詞が多用される文章は、
一方的な主張を単勝に繰り返すものになってしまっているため、
文章の内容そのものもメリハリの無いものになっているはずです。

そして、もう1つ挙げたポイントについては、

「構成的に使うべき接続詞以外は使う必要が無い」

という事であり、この接続詞を示すべきかどうかの判断が
全般的に上手く出来ていない文章が非常に多い傾向にあります。

・用いるべきところに接続詞を示す事が出来て用いていない文章
・とくに用いる必要のない接続詞を用いてしまっている文章


こういった文章が非常に多い傾向にあるという事です。

ただ、この部分の基本的な考え方としては、

並列:前文に対して、同列の主張を示す文章に用いる
説明:前文に対して、補足、説明を加える文章に用いる


これに該当する接続詞は、示さずとも問題が無い傾向にあり、
現に先ほどの例文で接続詞を省略しても違和感はないと思います。

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
また(そして)、それはコピーライティングの重要性に気付くきっかけにもなった。



私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
それはコピーライティングの重要性に気付くきっかけにもなった。

私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
つまり、コピーライティングこそが重要性なスキルであるという事に気付いたのだ。



私は「文章を書くスキル」の重要性に気付いた。
コピーライティングこそが重要性なスキルであるという事に気付いたのだ。

このように、とくにその接続詞を示さずとも、
文章の構成的に支障が生じない場合においては、
接続詞を用いない方が文章がスッキリする場合もあります。

もちろん「並列」「説明」を担う接続詞であっても、
それを示す方が論理構成が明確になる場合もありますので、
これは、どちらが分かり易く、読み易いかで判断するようにしてください。

とくに「並列」や「説明」を強調して示したい文章などにおいては、
やはり、この「接続詞」は有効な役割を担えるものになります。

対して上記に挙げた「順列」「逆接」「選択」の役割を担う接続詞は、
基本的には省略するべき接続詞ではないものと言えますので、
これらは意識的に用いていくようにしてください。

以上、文章における「接続詞」の原則とその役割、
また実際に接続詞を用いていくポイントについてでした。

是非、参考にしてください。

K.Uzaki

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2017年6月5日 | コメントは受け付けていません。 |

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