印象の良い文章、悪い文章の違い。その書き方とポイント

自分自身の「文章」をブログなどを介してネット上に公開した場合、
そのブログに訪問(アクセス)して来た人は、その「文章」に目を通します。

その際、そのブログをビジネス上の「集客」を目的に運営していた場合、
そこに訪問(アクセス)してきた新規の訪問者が「見込み客」となるわけですが、
実質的に、見込み客と自分自身が最初の「接点」を作り出すタイミングは、

「新規の見込み客が自分が書き上げた文章に初めて目を通していく瞬間」

に他なりません。

その際、その文章を読み進めていく「見込み客」にあたる人は、
その文章の「内容」に対して、何らかの「感想」を抱く以前の段階で、
実際に読み進めていく文章そのものに対して何らかの「印象」を抱く場合があります。

それは「無意識」に近い範囲のものも含めたものになりますが、
文章の内容に対する肯定、否定、共感、反感といったものよりも先に、
まずは、文章そのものに対して何らかの「印象」を抱く場合があるという事です。

印象の良い文章、悪い文章の違い。その書き方とポイント。


そのブログなどのコンテンツにおける文章をある程度でも読み進めてもらえれば、
その時点で抱く「印象」は、その内容に対する「感想」が主となるはずです。

つまり、その文章の内容を「肯定」した上で「納得」や「共感」に至っていれば、
そのコンテンツはもとより、その文章を書いたであろう「人物」に対しても、
それ相応の「好印象」を抱く状況に至っていると考えられます。

逆に、納得や共感に至らず、その内容に「反感」を抱いているような場合は、
その文章を書いた「人物」に対する印象も良いものにはなっていないはずです。

ただ、このような「文章の内容を踏まえて生じる印象」は、あくまでも、
その文章を一定範囲、読み進めた上で初めて生じるものになります。

ですが、実質的な「文章への印象」は、その内容以前の段階における、

「文章そのものに対する感覚的な印象」

にあたるものが存在するため、この時点であまりに悪い印象を与えてしまうと、
その時点で、文章そのものがそれ以上、読まれなくなってしまう恐れがあります。

どんなに見込み客にとって価値のある話やタメになる話をしていても、
その内容以前の段階で「悪い印象」を与えてしまう場合があるという事です。

そんな「文章そのものに対する感覚的な印象」を左右する要因としては、

・文体(文章上の口調)
・表現(言葉選び)
・読み易さ(分かり易さ)

この3つが主なものとして挙げられます。

1つ目の「文体」は文章上の口調が主なものになりますが、
大きくは「だ・である調」と「です・ます調」に分類されます。

ですます調,だである調,どちらの語尾で文章を使い分けるべきか



よって、この「文体」については、上記を参照いただければと思いますが、
この部分は無難な「ですます調」で文章を書いていくようにすれば、
文章の印象をそこまで悪くしてしまう事もありません。

逆に下手に「個性」を出そうと、

・時代錯誤な文体(~でござる。~で候など)
・山の手言葉(~ざます。~ざんす。など)


このような「奇抜な文体」で文章を書いてしまうと、
それが文章の印象そのものを悪くしてしまう恐れがあるという事です。

奇抜な文体は避け「無難な文体(ですます調)」で文章を書く。


また、2つ目に挙げた「表現(言葉選び)」は物事の言い回しなどにおいて、
あまり一般的ではない表現や、若者言葉、ネット特有の用語などを多用すると、
それらに馴染みの薄い人は、感覚的な「ギャップ」を感じてしまいます。

自分自身が普段、まず使わないような表現や言葉が、
当たり前のように多用されているような文章は
3つ目に挙げた「分かり難さ」にも繋がってしまうため、
これも内容以前の「文章の印象を悪くする要因」となるわけです。

ただ、1つ目、2つ目に挙げた「文体」と「表現」については、

・奇抜な文体、一般的ではない表現を避ける
・無難な文体。一般的な表現を用いる

このような「普通の文章」を心がける範囲でクリアする事ができるため、
実質的に、世の中の大半の文章は、この部分は問題なくクリアできています。

よって、実質的に文章そのものの印象を悪くしている「主な要因」は、
3つ目に挙げた「読み易さ」および「分かり易さ」の部分であり、

「伝えたい事を正しく伝える」

という観点でも、文章の読み易さ、分かり易さは極めて重要となります。

ただ、読み手側が感覚的な範囲で捉える「読み易さ」や「分かり易さ」は、
職業柄も含めて、よほど文章に精通しているような人でない限り、
その文章の読み易さ、分かり易さなどは感覚的な「印象」で判断します。

つまり、

「この文章は、ここがこうだから読み易い(分かり易い)」
「この文章は、ここがこうだから読み難い(分かり難い)」


というように、その読み易さ、読み難さの「要因」にあたるものを、
強いて意識的に捉えているような人は「稀」という事です。

そして、その「感覚的な印象」を実質的に左右しているのは、
多くの人が、ほぼ無意識に近い感覚で自分の中に内面化している、

「文章の規範(いわゆる文法)」

にあたるものであり、その「規範」に近い文章になっているほど、
その文章を捉える印象は「読み易い」というものになります。

逆に、その規範に沿わない文章ほど「読み難い」という印象になるわけです。

よって「読み易さ」に伴う感覚的な印象を良いものにするためのポイントは、

「多くの人が捉える文章の規範(文法)に沿った文章を書く事」

であり、これが実質的な「文章の印象」を大きく左右するという事です。

多くの人が捉える文章の規範(文法)に沿った文章を書く。


ですが、以下の講義でも言及した事がある通り「母国語(日本語)の文法」は、
それを1から教わって覚えた、勉強して覚えたという人は滅多にいません。

母国語、日本語の文法や文章を「理解」したのはいつなのか。



つまり、大抵の人は「母国語(日本語)の文法」を、
幼少期からの日常生活の中で無意識的に学習してきているわけです。

よって、多くの人が「読み易い」「分かり易い」と感じる『文章の在り方』は、
必ずしも「文法のルールに沿った正しい文章」というわけではありません。

文法上はこのような文章が正しい。とされる文章の書き方があったとしても、
それが多くの人にとっての文章の規範となっているとは限らないという事です。

その上で、私や師匠が文章において追及しているのは、

「文法をベースとした論理的な分かり易さ」

であり、文法は当然のベースとして重要視していくのですが、その上で、
分かり易い文章の「理」を追及した書き方を追及していくようにしています。

ただ、ひたすら文法に沿った「正しい文章」を書いていくのではなく、

「論理的な分かり易さを追及して文法に沿った文章を書く」

という事を徹底しているわけです。

そんな「分かり易さの理」を追及する文法に沿った文章の書き方については、
このブログ内でも、その視点に基づく文章講座を多数公開していますので、
是非、そういった視点で各講座を参考にして頂ければと思います。

>コピーライティング至上主義者の会、コンテンツ一覧へ

「文法」から、読み易さ、分かり易さの「理」を追及するライティング講座


また「文法」から「分かり易さの理」を追及する文章の書き方については、
私の師匠が手掛けた以下のライティング講座を介して学べるようになっています。

>Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~


この【Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~】は、
それこそ「文章そのものの質」を、根底から底上げできる、
そんなライティング教材になっているはずです。

このブログの文章講座では、私が師匠から教わった内容を公開していますが、
このライティング講座では、その大元となっている原理原則が余す事なく公開されています。

是非一度、ご案内のページの方だけでも目を通してみてください。

K.Uzaki

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2021年7月3日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:心理テクニック 文章講座 ブランディング 文法・品詞

母国語、日本語の文法や文章を「理解」したのはいつなのか。

多くの人にとって「母国語(日本語)」にあたるものは、
幼少期からの日常生活で自然と習得するに至ったものだと思います。

その「在り方」や「根本」を、

・誰かに1から教わった
・勉強して覚えた


というような意識や認識はそこまで無いはずです。

よって、日本語を「母国語」としているような人なら、
文章における「文法」と呼ばれる文章のルールや規則なども、

「ほぼ無意識に近いレベルで内面化されてきたもの」

と考えられます。

当然、そのようなに無意識レベルで内面化された「文法」を
そこまで強く意識して文章を書いていくような事もまずありません。

つまり、日本語を母国語とする人の多くは「文法」を無意識で捉えて、
その無意識に近い形で「文章」を書いているわけです。

母国語、日本語の「文法」は、ほぼ無意識の範疇で使われている。


このブログでは「コピーライティング」をテーマとして扱っていますし、
これまで、コピーライティングについてたくさんの記事を公開し、
また、コピーライティングの教材やコンサルティングなども行ってきています。

ですが、そもそもコピーライティングは「コピー(文章)を書くスキル」であり、
その文章の「基盤(ベース)」にあたるものは、実際のところ「文法」です。

その「基盤(ベース)」がしっかりと「在るべきもの」になっていなければ、
その時点で、その文章はどんなにライティングの「テクニック」を駆使しても、
その「根本的な部分」で、大きく反応を落としてしまう事になります。

つまり「コピーライティング」と呼ばれるものを含めた「文章のスキル」は、
それを活用していく文章そのものの基盤(ベース)がしっかりしていなければ
そもそも、有効に活用していく事は「出来ない」という事です。

私自身、実際に多くの人にコピーライティングの指導を行い、
そのような方々の「文章」を実際に見て、添削などを行ってきていますが、

「コピーライティング以前の文章の基盤(ベース)の部分で反応を落としている」

というケースが、非常に多く、むしろそのケースが「ほとんど」だと感じています。

要するに、多くの人がコピーライティングなどの文章のスキルを学んでも、
いまいち、その反応や売上が伸びない最大の「要因」にあたるものは、
コピーライティングのスキルやテクニックの良し悪しや学び方云々ではなく、
ほぼ無意識レベルで内面化されてしまった文章の基盤にあたる部分。

すなわち無意識レベルで使っている「文法」にあるのが実情なわけです。

ですが、これは、今から「国語の教科書」や外国人向けの「日本語の入門書」などで、
1から日本語の文法を勉強しなすべき、という事を言っているわけではありません。

おそらく、そのような「勉強」を実際に行ったとしても、

「やっぱり、自分にとっては分かり切っている事ばかりが書いてある」

と思ってしまう部分がほとんどになると思いますから、
そのような勉強は、物凄く退屈で全くもってはかどらないはずです。

また、もし、自分自身の「文章」における1つのゴール(目的)が、

・読み手を反応させ、行動させる事ができる文章を書く事
・売上や成約に繋がるような稼げる文章を書く事

などにあたるなら、国語の教科書や日本語の入門書で学べる「文章」は、
結局のところ「在るべき文法に沿った正しい文章」でしかないため、
そのような文章を書けるようになっても、その「目的」はおそらく果たせません。

「正しい文章」と「反応が取れる文章」は、必ずしもイコールではないからです。


「正しい文章」と「反応が取れる文章」はイコールではない。


もちろん、読むに堪えないレベルの「文法を無視した正しくない文章」では、
反応以前に、文章の内容そのものが「理解されない」と思いますから、
そこまでのレベルの文章は、当然の事ながら「問題外」です。

ですが、日本語や文法のルールをガチガチに守った「正しい文章」が、
必ずしも高い反応に結び付くかと言えば、決してそうではありません。

よって、

「読み手を反応させ、行動させる事ができる文章を書く(稼げる文章を書く)」

という目的を前提とする上で必要な事は「そのための文章の在り方」を知る事であり、
そのための文章は「読み易く」そして「分かり易い」そんな文章に尽きます。

文章的な「正しさ」を追及するのではなく読み易さ、分かり易さを追及するわけです。

そして、その「読み易さ」と「分かり易さ」にあたるものは、

「読み手側の内面やそこから生じる印象」

から生まれるものであって、こちらが一方的に押し付けるものではありません。

その上で「文法」というものをそのような視点で捉えなおすと、
読み易く、分かり易い文章がどう在るべきなのか、が見えてきます。

むしろ「文法」は、そのような視点で捉えなければならないという事です。

ですが、多くの人は、ほぼ無意識レベルで内面化された文法に沿って、
その文法さえ、ほぼ意識する事もなく文章を書いている傾向にあります。

そこに強いて意識するのは表面的に学んだライティングのテクニックなどで、
まさに、小手先のテクニックばかりが目につくような文章を書いてしまうわけです。

そんな文章では、当然、反応にも売上にも結び付きません。

だからこそ、まずは自分が無意識レベルで内面化してしまった、
その「文法」の認識を、在るべきものに正す必要があります。

これは決して文法というものを完全に1から勉強しなおすという事ではなく、
すでに認識している文法をベースに幾つかのポイントを正していく事ができれば、
それだけでも、文章の在り方や反応は、各段に大きく変わってくるはずです。

そんな「在るべき文章」や「在るべき文章の書き方」などは、
このブログ内でも、その視点に基づく文章講座を公開していますので、
是非、そういった視点で各講座を参考にして頂ければと思います。

>コピーライティング至上主義者の会、コンテンツ一覧へ


文章の在り方と書き方を「文法」から紐解くライティング講座。


ここで言及した「文法」から紐解ける反応の取れる文章の在り方、書き方を

「そこをピンポイントにまとまったコンテンツで一気に落とし込みたい」

という場合は、こちらのような教材をご用意していますので、
もし、ご興味があれば、一度、目を通してみてください。

>Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~


この【Million Writing [ Gammer ]~文法とコピーライティング~】は、
あなたの文章そのものの「質」を、根底から「底上げ」できる。
そんなライティング教材になっていると思います。

今回の記事でお伝えした事に、少しでも思いあたる節があるようなら、
一度、ご案内のページだけでも目を通して頂ければ幸いです。

K.Uzaki

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2021年6月11日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文章講座 文法・品詞

指示代名詞の使い方と注意点

宇崎です。

今日は文章を構成していく際に用いる「品詞」の1つである、

「指示代名詞」

について、その使い方、注意点などを講義してみたいと思います。

指示代名詞は、文章において特定の対象を指し示す場合に、
あえて、その名称(名詞)を用いずにそれを指し示す品詞で、

「この」「その」「あの」「どの」
「これ」「それ」「あれ」「どれ」

上記のようなものが、この指示代名詞に該当します。

仮にその「指示代名詞」という品詞の名称を認識していなくても、
文章を作成していく際は、普通にこの品詞を用いているはずですし、
この品詞が用いられている文章も日常的に目にしているはずです。

現にこの記事のここまでの文章のみにおいても、
この「指示代名詞」は幾度と普通に用いられています。

ですが、この指示代名詞には、それを用いる際において、
しっかりと押さえていくべき「決まり」があり、
その主な注意点となるのが以下の2つの視点です。

<・領域の視点:どの領域にあるものを指し示すものか
・対象の視点:その指示代名詞が指し示す対象は何なのかか


指示代名詞を用いた文章はこの2つの視点が重要であり、
この2つの視点のどちらが不適切なものになってしまっても、
その文章は分かりにくいものになってしまいます。

また、場合によっては文章そのものが支離滅裂になってしまい、
根本的に不可解な文章になってしまう可能性もあるのです。

ただ、この2つの視点が疎かになってしまっている文章は、
このインターネット上を見ても意外に少なくはないのが現実です。

よって、今回の講義では、上記の「2つの視点」を、
それぞれに例文等を挙げた上で言及していきたいと思います。


指示代名詞における「領域」の視点について


指示代名詞は、その対象となるものの「領域」に応じて、
それに準じた指示代名詞を用いていく必要があり、
その領域の区分は以下の4つに分けられます。

・書き手側の領域   : この、これ
・読み手側の領域   : その、それ
・どちらでも無い領域 : あの、あれ
・不特定な領域    : どの、どれ


例えば、今、私(書き手)の容姿について、
それを言及するような文章を書いていくという場合は、

「書き手側の領域にあるもの」

を対象とする形で指示代名詞を用いる事になるため、

私のこの容姿は、決して自慢できるものではありません。

とは言え、これが私の顔なのですから、仕方が無いのです。

このような「この」「これ」などを用いた文章が適切となるわけです。

対して「読み手側の容姿」を言及する文章を書く場合、
これは読み手側の領域にあるものが対象になるため、

あなたは自分の容姿をどう思っていますか?

あなたがその容姿に自信を持たれているなら、
それは本当に結構な事だと思います。

このような「その」「それ」などを用いた文章が適切となります。

そして、書き手側、読み手側、どちらでも無い領域にあたる、
例えば「特定の芸能人の容姿」などを話題にする場合においては、

あなたは○○○○という女優をご存じですか?

あの容姿は、本当に見事だと思いますし、
あれくらいの美貌が自分に備わっていれば、
さぞ、人生も楽しいのではないかと思います。

このような「あの」「あれ」などを用いた文章が適切となります。

また、根本として領域を持たない対象が前提となるような場合は、
以下のような指示代名詞を用いた文章が適切となるのです。

あなたはどのような容姿が理想ですか?

このように、指示代名詞はその対象となるものの領域によって、
そこへ用いていくべき指示代名詞も変わってきます。

指示代名詞を用いる際は、この「領域」の視点を前提に、
その領域に適した指示代名詞を用いる必要があるという事です。

尚、上記に挙げた「書き手側の領域にあるもの」の例文ですが、

私のこの容姿は、決して自慢できるものではありません。
とは言え、これが私の顔なのですから、仕方が無いのです。


この例文は2節目の文章を、

私のこの容姿は、決して自慢できるものではありません。
とは言え、それが私の顔なのですから、仕方が無いのです。


このように、書き手側の領域を対象に用いる「それ」を用いても、
上記を読まれてもお分かり頂ける通り、違和感のないものになります。

これは、1節目の文章で書き手側の領域にある「容姿」が、
その1節目の文章を介して読み手側に伝達された事が前提となるため、
その伝達された対象は「読み手側の領域にあるもの」として

「それ」

を用いても問題は無いためです。

よって、指示代名詞における書き手側の領域、読み手側の領域は、
その情報の伝達前提によって、両者が「共有」できるものになります。

その場合は、どちらの領域を前提とする指示代名詞を用いても、
問題なく、適切な文章を構成していく事が出来るということです。


指示代名詞における「対象」の視点について


上記で解説した4つの「指示代名詞」のうち、
領域が不特定な「どの」「どれ」以外の指示代名詞にあたる、

・書き手側の領域   : この、これ
・読み手側の領域   : その、それ
・どちらでも無い領域 : あの、あれ


この3つの領域を前提とする指示代名詞においては、
その「対象」となるものを読み手側の方が、
しっかりと認識できるようにする必要があります。

それらの指示代名詞が何を対象として示されているのか、
その対象が「どれ」なのかが分かるようになっていなければ、

「これってどれの事を言っているの?」
「それってどれの事を言っているの?」


と、その対象を見失う事になってしまうからです。

よって、上記で挙げた3つの指示代名詞においては、
その指示代名詞の対象が何なのかが明確に分かるように、

『1つ前の文章にその対象がある場合にのみ用いるようにする』

という事を原則的なルールとして厳守するようにしてください。

・書き手側の領域   : この、これ
・読み手側の領域   : その、それ
・どちらでも無い領域 : あの、あれ


この3つ領域を前提とする指示代名詞に関しては、
それらを用いた文章の「前の文章」の中に、
その対象が示されている必要があるという事です。

以下、この原則に反した例文とそれを改善した例文です。

指示代名詞の対象が分かりにくい不適切な文章
私の容姿は自分で言うのも何ですが、本当にひどいです。
故に、私は劣等感を感じる事の多い人生を歩んできました。
しかし私は、ある一点で揺るぎない自信を持っています。
これをどんなに馬鹿にされても、私はその自信を失いませんでした。

上記の不適切な文章を改善した文章
私の容姿は自分で言うのも何ですが、本当にひどいです。
故に、私は劣等感を感じる事の多い人生を歩んできました。
しかし私は、ある一点で揺るぎない自信を持っています。
容姿をどんなに馬鹿にされても、私はその自信を失いませんでした。

上記の2つの文章は『これ』という指示代名詞を、
そのまま『容姿』に差し替えただけの違いなのですが、
前者の不適切な例文では『これ』の対象が

・自分のひどい容姿
・ある一点の揺るぎない自信


このどちらにも解釈が可能な文章であるため、
文章が根本として分かり難くなってしまっています。

少なくとも『これ』という指示代名詞の前に示されている、

「しかし私は、ある一点で揺るぎない自信を持っています。」

という文章には『これ』の対象となるものは示されていませんので、
この文章では『これ』という指示代名詞は用いるべきではなく、
改善文のように『容姿』という語句を用いるべきなのです。

このように文章内に「指示代名詞」を用いていく際は、
読み手側がしっかりとその対象を認識できるようにするため、
その対象が1つ前の文章に示されている事を原則としてください。

1つ前の文章にその対象となるものが示されてない場合は、
その文章では指示代名詞を用いずに、その対象となるものを、
上記の改善文のように示していくべきであるという事です。


指示代名詞の使い方と注意点。総括


以上、今回は品詞の1つである「指示代名詞」の講義として、

<・領域の視点:どの領域にあるものを指し示すものか
・対象の視点:その指示代名詞が指し示す対象は何なのかか


この2つの視点についてを解説させて頂きました。

この「指示代名詞」そのものについては日常会話の中でも、
ほぼ無意識レベルで当たり前に使っているものだと思います。

それだけに、それを文章に用いていく際の重要な「視点」が、
どこか疎かになってしまっているケースは決して少なくありません。

自分の文章の中にも、意外な見落としがあるかもしれませんので、
是非、指示代名詞を用いていく際は注意を払うようにしてみてください。

以上、指示代名詞についての講義でした。

K.Uzaki

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2017年11月20日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

接続詞、接続助詞、指示代名詞の有効な使い方。

宇崎です。

文章(コピー)において意識しなければならないのは、
その目的を果たすために必要な物事を伝えていくことです。

然るべき、その目的を果たす事が出来てこそ意味があり、
目的を果たせないコピーには何の価値もありません。

故に文章(コピー)は、その目的を果たすための文章を、
1つ1つ積み重ねていきながら構成していきます。

あくまでも1つの目的に向かって必要な事を伝えるため、
そのための文章を繋げていくものであるという事です。

1つのコピーを構成する文章は、
その全てが1つの目的に向かっていくものであり、
それを前提に全ての文章が繋がっていなければなりません。

よって、その「文章の繋がり」が読み取れない文章は、
どこか話が途中で飛んでしまっているような印象、
途切れてしまっているような印象を与えてしまいます。

当然、それは反応の低下を招いてしまうわけです。

そして、そのような「文章の繋がり」は、
書き手側はそれを意識して書いているつもりでも、
読み手側がそれを認識できなければ意味がありあせん。

ですが、世に出回っている文章(コピー)の多くが、
その「文章の繋がり」を認識できない文章、
認識しにくい文章になってしまっている傾向にあります。

そんな「文章の繋がり」を鮮明にしていく上で有効なのが、
今回の講義タイトルで掲げた以下、3つの品詞です。

・接続詞
・接続助詞
・指示代名詞

今回はこの3つの品詞を有効に活用した、
1文1文の繋がりが鮮明な文章の書き方を
それぞれ、例文を挙げて講義していきたいと思います。


接続詞によって繋がりを鮮明にした文章例


例えば以下のような文章は「文章の繋がり」が不鮮明であるため、
その「繋がり」が読み取りにくく、分かりにくいと思います。

ネットビジネスは文章の反応が結果を左右します。

ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
極めて重要度の高いスキルだと思います。

上記の例文を構成している2つの文章は、
いずれもネットビジネスについてを言及していますが、
それぞれの文章の「繋がり」はやや不鮮明です。

読み手側の見方(読み取り方)によっては、

「2つの見解を並列的に述べた文章」

のようにも見えてしまう文章となっているからです。

では、同じ文章に「接続詞」を加えてみます。

ネットビジネスは文章の反応が結果を左右します。

よって、ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
極めて重要度の高いスキルだと思います。

このように『よって』という接続詞を加えた事で、

・要因:ネットビジネスは文章の反応が結果を左右する

・結論:(よって)ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
    極めて重要度の高いスキルである


というように2つの文章の繋がり、関連性が、
要因と結論という形で鮮明になった事が分かります。

その「繋がり」がやや曖昧だった文章の「関連性」が、
接続詞を加える事で鮮明になったということです。

また、この2つの文章は「接続詞」を交えて、
このような形で構成する事も出来ます。

ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
極めて重要度の高いスキルだと思います。

何故ならネットビジネスは文章の反応が結果を左右するからです。

順序を入れ替えて語尾を若干変えていますが、
このように『何故なら』という接続詞を加える事で、

・結論:ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
    極めて重要度の高いスキルである

・根拠:ネットビジネスは文章の反応が結果を左右するから


という形で、それぞれの関係性を鮮明にする事も出来ます。

このように文章の「繋がり」や「関連性」を鮮明にする事で、
その文章はより分かり易く、読み易いものになるわけです。

逆にその繋がりや関連性が分かりにくい文章は、
話が飛んでいる、途切れているという印象を与えてしまいます。

読み手側にそのような印象を与えないためにも、
文章は全ての文章の繋がりや関連性を鮮明なものにしてください。

その上で、接続詞はその繋がり、関連性を鮮明に出来る点で、
有効に用いる事ができる品詞であるということです。

接続詞の使用については以下も併せて参考にしてください。

>接続詞の正しい使い方と文章構成の原則


接続助詞によって繋がりを鮮明にした文章例


次は先ほど用いた例文に「接続助詞」を用いてみます。

ネットビジネスは文章の反応が結果を左右しますので、
ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
極めて重要度の高いスキルだと思います。

接続助詞は、

「ますので」「ですので」「ですが」「ますが」

などの文によって2つの文章を接続できる品詞であり、
これによって文章を1つにまとめる事が出来ます。

このように2つの文章が1つの文章にまとめられれば、
その繋がりがより鮮明なものになる事は言うまでもありません。

これも文章の繋がりを鮮明にする有効な方法の1つです。

尚、接続助詞の活用には幾つかの注意点もありますので、
その注意点については以下の講義も併せて参考にしてください。

>接続助詞の正しい使い方と注意点


指示代名詞によって繋がりを鮮明にした文章例


同じく、先ほど用いた例文に次は「指示代名詞」を用いてみます。

ネットビジネスは文章の反応が結果を左右します。

そのような特性があるからこそ、
ネットビジネスにおいてコピーライティングは、
極めて重要度の高いスキルだと思います。

指示代名詞は「指示語」とも呼ばれる、

「その」「この」「あの」「それ」「これ」「あれ」

などの総称ですが、この指示代名詞を用いる事で、
その指示代名詞の対象が先立つ文章に向けられるため、
それが文章そのものの繋がり、関連性の認識に結び付きます。

上記の例文のように『そのような』という指示代名詞が示される事で、
その一文が先立つ一文を指示(対象)する形で構成されている事を、
読み手側がそのまま鮮明に認識できる形になるということです。


接続詞、接続助詞、指示代名詞の有効な使い方。まとめ


以上、接続詞、接続助詞、指示代名詞を用いた、
1文1文の繋がり、関連性が鮮明な文章の書き方を
それぞれ、例文を挙げて講義させて頂きました。

実際にコピーを構成していく文章においては、
その1つ1つの繋がりを鮮明にするべきであり、
その「繋がり」や「関連性」が分かりにくい文章は、
話が飛んでいる、途切れているという印象を与えてしまいます。

そのような印象を与えてしまうごとに、
文章の反応は低下してしまう事になりますので、
その繋がりや関連性は読み手側がしっかりと認識できるように、
それらが鮮明に分かる文章を構成していくようにしてください。

そのような1つ1つの文章の繋がり、関連性は、
書き手側は自分の中でその全てが紐付けられていますが、
読み手側にはその「紐付けの前提」がありません。

だからこそ「文章」からその繋がり、関連性を
そのまま鮮明に読み取れるようにする必要があるのです。

そのような読み手目線が不十分なコピー(文章)が、
ウェブ上には非常に多く見られる傾向にありますので、

「文章の繋がり、関連性が読み取れるようになっているか」

を常に客観的に捉えていくようにする事をお勧めします。

その繋がり、関連性を鮮明にする上で有効なのが、
ここでお伝えしました3つの品詞であるという事です。

是非、参考にしてください。

K.Uzaki

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2017年10月31日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

接続助詞の正しい使い方と注意点。

宇崎です。

ここ数回のブログ講座では、

・助詞の講座:https://copyrighting-supremeprinciple.net/?p=1492
・接続詞の講座:https://copyrighting-supremeprinciple.net/?p=1567

それぞれの使い方と注意点などを講義しましたので、
今日は、その「接続詞」とも「助詞」とも異なる、

「接続助詞」

の使い方について、その注意点などを併せて講義していきます。

正直、あまり聞きなれない品詞かもしれませんが、
実際に文章で使用されている「頻度」は低いものではなく、
その使い方で損をしている人(文章)も決して少なくありません。

ですので、その注意点をしっかりと押さえて頂くようにするだけで、
文章そのものの「向上」に少なからず繋がるんじゃないかと思います。


接続助詞の正しい使い方と注意点。


そもそも接続助詞って何?という人もいるかもしれませんが、
この記事の冒頭文と、この一文でも普通に使われている、
以下が、この「接続助詞」にあたるものです。

それぞれの使い方と注意点などを講義しましたので
今日は「接続詞」とも「助詞」とも異なる・・・

そもそも接続助詞って何?という人もいるかもしれません
この記事の冒頭文と、この一文でも普通に使われている・・・

上記のような「ので」「が」が接続助詞にあたり、

「文と文の意味関係を表して接続するもの」

というのが文章的な定義(意味)となっています。

主語などの「単語」に対して用いる事が一般的な助詞に対して、
接続助詞は「1つの文章」に対して用いるのが特徴です。

「○○ので」「○○なのに」「○○ですが」「○○ですから」

などなど、接続助詞は、特定の「単語」に対して用いるのではなく、
それ以前の「文章そのもの」に対して用いられる形となるため、
文と文を接続していく役割を担う形になるわけです。

そして、この接続助詞は、おそらく多くの人が日常会話の中や、
自分自身の文章で普通に使っているのではないかと思います。

改めて「接続助詞」と言われるとピンと来ないかもしれませんが、
強いて、それを意識せずに使っている人が非常に多いという事です。

ただ、それだけに、この「接続助詞」が原因で、
文章が分かり難いものになっている事も少なくありません。

そんな接続助詞の使用で主に注意するべきは以下の3つです。

・順接、逆接を正しく用いる
・1節の文章内での多用を避ける
・敬語、丁寧語の文章は一貫させる

それぞれについて、補足していきます。


順接、逆接を正しく用いる。


これは実際は大多数の人が問題なくクリアできていますので、
強いて、ここで言及する必要もないような当たり前のポイントです。

ただ、あくまでも「正しく用いる事」は大前提なので、
一応は、1つの目の注意点として挙げさせてもらいました。

とくに接続助詞を正しく用いるポイントになるのは、

・順接
・逆接


で、先立つ文章に対して順接的な関係にある文章が続く時と、
先立つ文章に対して逆説的な関係にある文章が続く時で、
実際に用いていくべき接続助詞は変わってきます。

雨が降ったので、傘をさした
雨が降ったから、傘をさした

これは順接関係にある文章なので、接続助詞も、

『ので』『から』

という順接関係にある文章を接続する際のものを用いています。

ですが、仮にこの文章が、

雨が降ったのに、傘をさした
雨が降ったが、傘をさした

これだと、明らかに違和感があると思います。

これは文中に用いた『のに』『が』という接続助詞が、
逆接にあたる文章に用いていくべきものだからです。

よって、ここで『のに』『が』という接続助詞を用いるなら、

雨が降ったのに、傘をささなかった
雨が降ったが、傘をささなかった

このような文章が適切になるわけです。

要するに接続助詞は、読み手側の予測や解釈を前提に、
追って順当な文章(予測通りの文章)を示していくのか、
その予測とは逆の文章を示していくのかで、

・順接
・逆接


それぞれに適したものを用いる必要があるという事です。

ただ、これは普通に日本語を母国語にしている人なら、
とくに意識せずともクリアできているようなポイントなので、
実際に注意が必要していくべきは次以降のポイントだと思います。


1節の文章内での多用を避ける。


これは意外に多くの人がやってしまっている傾向にあるもので、
接続助詞は、1つの文章(主張)と次の文章(主張)を、
文字取り「接続」できてしまう助詞であるため、

「○○ですが、○○なので、○○なのですが、○○ですけど・・・」

と、余りに多くの文章を接続し過ぎてしまう事があるんです。

ただ、当然このような文章は「1節の文章」が異常に長くなり、
それだけで文章そのものが分かりにくいものになってしまいます。

とくに順接と逆説が入り混じって接続されてしまうと、

「順接の順接の逆説の順接の逆説の・・・」

と、読み手側の頭の中はごちゃごちゃになってしまい、
結局、何を言いたい文章かがわからなくなってしまうわけです。

よって、接続助詞は「句点(。)」で区切る1節の文章において、
基本的には、2回以上は使用しないようにしてください。

1つの文章(主張)にもう1つの文章(主張)を前後で接続し、
それ以上の文章を接続していく事は避けた方が良いということです。

少なくとも、接続助詞を入れている接続部分というのは、
接続助詞を入れなければ文章を区切る事が出来るところなので、
実際は、接続助詞を用いずとも、文章は普通に成立します。

例えば、先ほどの文章を例に挙げても、

雨が降ったから、傘をさした
→ 雨が降った。(だから)傘をさした

雨が降ったのに、傘をささなかった
→ 雨が降った。(しかし)傘をささなかった

このように接続助詞を用いて文章を接続している部分は、
実際は、文章をそのまま区切って構成する事ができるため、

「接続助詞を使わなければ成立しない文章」

というのは基本的には無いわけです。

文章を区切った場合は、後の文章の頭に「接続詞」を付ければ、
大抵、文章そのものも、ある程度は自然な形で構成できます。

言い方を変えれば、接続助詞を使い過ぎている文章は、
文章を分けて構成した方が良いような部分を
接続助詞で無理に接続している可能性がありますので、
そのような文章は、分けて構成した方が良いという事です。

どちらにしても、順接、逆説が2転3転する文章は、
単純に「分かり難くなる」というのが率直なところですので、
その点でも接続助詞は1節の文章で1度の使用のみに留め、
2度以上は使わないようにしてください。

もし、自分の文章を読み返してみて、
1節の文章で接続助詞が2度3度と使われているようなら、
すぐにでも文章を分けて構成し直す事をお勧めします。


敬語、丁寧語の文章は一貫させる。


この3つの目のポイントはケースバイケースでもあるのですが、
もし、その文章が固めの敬語、丁寧語で構成しているような場合は、
接続助詞を使用する部分で口調が崩れないように注意を払ってください。

例えば全般的にかなり固い敬語、丁寧語で構成されている文章で、
以下のような文章が出て来るのは、若干の違和感に繋がってしまいます。

私は、あなたが希望を捨てずにいてくださると信じております。

あなたの未来には輝かしい成功が待っているので、
その希望の光だけは、絶対に見失ってはなりません。

この一文の中の「待っているので」の部分は常用語に近く、
前後の敬語、丁寧語口調に対して違和感を与えてしまいかねません。

この文章のみであれば、そこまでの違和感は覚えないかもしれませんが
文章全体がかなり固めの敬語、丁寧語で構成され続けていれば、
上記のような「常用語」は違和感に繋がってしまう傾向にあるため、

私は、あなたが希望を捨てずにいてくださると信じております。

あなたの未来には輝かしい成功が待っていますので
その希望の光だけは、絶対に見失ってはなりません。

このように接続助詞にあたる部分においても、
しっかりと敬語、丁寧語で構成するべきだと思います。

もちろん、これは文章全体がフランクな敬語口調である場合など、
その前後の文章によっては、とくにそこまで気にする必要はありません。

ですが、かなりお堅い印象を与えている文章の中で、
このような接続助詞を用いる部分で急に常用語が出て来る文章が
ネット上のブログなどでは、少なからず見受けられる傾向にあるんです。

よって、ご自身のブログやメールマガジンなどが
全般的に「お堅い文章」で構成されている場合などは、
少なからず、この部分にも注意を払うようにした方が良いと思います。


接続助詞の正しい使い方と注意点。まとめ


以上、今回は「接続助詞の正しい使い方と注意点」として、

・順接、逆接を正しく用いる
・1節の文章内での多用を避ける
・敬語、丁寧語の文章は一貫させる

この3つの注意点とそのポイントを講義させて頂きました。

1つ目のポイントはさほど意識する必要はないと思いますし、
3つ目のポイントも基本的にはケースバイケースなので、
人によっては、そこまで意識しなくても良いものだと思います。

ただ、2つ目の注意点として挙げた、

「接続助詞が多用され過ぎている文章」

というのは、わりと多くのブログで目にしますので、
これは意識的に注意していくようにした方が良いかもしれません。

それだけで「分かり難い文章」がグッと分かり易くなるはずです。

是非、参考にしてみてください。

K.Uzaki

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2017年7月8日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

読み易い文章を書く為の「助詞」の使い方と注意点。

宇崎です。

私が考える限り、読み易く分かり易い文章を書いていく上で、
その主な要因となるのは、やはり主語と述語の構成だと思います。

ただ、その主語と述語の構成を左右していく要素でもあり、
文章全体にも大きく影響するのが「助詞」の使い方です。

助詞を正しく用いるというのは当然の原則ですが、
文法上の使い方は正しくても、使い方が「下手」な場合、
その文章は結果的に伝わりにくいものになってしまうんです。

今日はそんな「助詞」の上手な使い方について講義してみます。

読み易い文章を書く為の「助詞」の使い方と注意点。


一応、補足していくと「助詞」というは、

「が」「は」「の」「を」「や」「へ」「と」「で」「に」

などなど、文章内の単語と単語の間に用いていくものです。

普通に日本の義務教育を終えているような人であれば、
助詞を正しく使う事自体は出来ているんじゃないでしょうか。

あえて頭で考えなくても、自然に助詞を使って話を組み立て、
また、文章を書くような事も出来ていると思います。

ですが、少なくとも「文章」において言うなら、
助詞は「正しく使えていれば良い」というものではないんです。

もちろん「正しく使う」という事は文章の大原則であり、
そこがままならない文章は、それ以前のレベルで話になりません。

ですが文章は「助詞を正しく使えている」というだけでは、
読み易く、分かり易い文章にはならない傾向にあります。

要するに助詞は「正しく使う事」を前提とする上で、
更にその「使い方」にも然るべきポイントがあるという事です。

それが以下に挙げる2つのポイントになります。

・主語が分かり易くなるように構成する
・メリハリを意識して構成する

また、この2つのポイントに対しての「注意点」を挙げるなら、

・主語を分かり難くしないようにする事
・1つの文章内で同じ助詞を多用しない事


この2つが同様に注意を払うべきポイントにあたりますので、
それぞれはそのまま逆説的なポイントであると捉えて問題ありません。

主語を分かり易くする事 = 主語を分かり難くしない事
メリハリを付ける事 = 同じ助詞を多用しない事


このような図式がほぼそのまま成り立つという事です。

少なくとも、私や師匠はこれらを意識して文章を書いていますので、
それぞれのポイントを、具体例を挙げて詳しく言及していきます。


助詞は主語が分かり易くなるように構成する。


まず、助詞における「は」「が」などは、

「私は」「私が」「あなたが」「その犬は」

といった「主語」に用いる事が多いものであるため、
その使い方によって主語がわかりにくい文章になってしまいます。

以下、主語が分かり難くなってしまっている例文です。

会議室静まり、まず私勉強しているコピーライティングというスキルこそネットビジネスで成果を上げる為に必要不可欠だと主張した、決してそれだけ全てではないという意見出てきたため、引き続き次に重要なスキル何かを議論する事にした。

あえて過剰に顕著な例文を示させて頂きましたが、
上記は決して助詞の使い方が間違っているわけではありません。

ですが、あまりに「が」という助詞が何度も出て来るために、
文節内ごとの主語が非常に分かり難い文章になってしまっています。

ただ、この文章も実際は助詞の使い方や文章の構成を少し見直す事で、
格段に分かり易く、読み易い文章にする事が出来るんです。

会議室は静まり、まず私が皆の重要視しているコピーライティングというスキルこそ、ネットビジネスで成果を上げる為に必要不可欠だと主張した。

しかし、決してそれだけが全てではないという意見も出てきたため、引き続き会議室にいるメンバーは次に重要なスキルについて議論する事にした。

修正したポイントは主語に対しての助詞の一部を「は」に差し替え、
主語以外の助詞を「が」ではないものに差し替えたところと、
助詞を使わずに文章を構成できる部分は句読点で文章を区切りました。

こうして同じ意味合いの文章でも助詞の使い方を変えるだけで、
文章の主体となる「主語」が分かり易くも分かり難くもなるため、
その使い方次第で「文章の分かり易さ」も大きく変わってくるわけです。

そして、この「主語を分かり易くする事」と併せて意識するべきが、
もう1つのポイントとして挙げた「文章のメリハリ」です。


助詞はメリハリを意識して構成する。


これは先ほどの例文にも共通して言える点ですが、
あまりに同じ助詞が多用されてしまっている文章は、
文書そのもののメリハリがなくなり締まりが悪くなります。

例えば以下の文章。

文章向上を図るため勉強会へ足を運ぶ。

ご覧の通り「の」という助詞が同じ文章内で3度出て来るため、
やはり、どこかメリハリの無い締まりの悪い文章になっています。

ただ、このような文章を改善する事は決して難しくありません。

文章の質を向上できる勉強会へ足を運ぶ。

このように「同じ助詞の多用」を避けて構成するだけでも、
文章はメリハリが付いて、スッキリとしたものへ変わります。

これは上記のような「の」という助詞に限らず、
あらゆる助詞の使用においても同じ事が言えますので、
助詞は出来るだけ同じものを多用しないように意識してください。


読み易い文章の書く為の「助詞」の使い方と注意点。


以上、読み易い文章の書く為の「助詞」の使い方として、

・主語が分かり易くなるように構成する
・メリハリを意識して構成する

このような2つのポイントを挙げた上で、
各注意点も併せて逆説的に補足させて頂きました。

主語を分かり易くする事 = 主語を分かり難くしない事
メリハリを付ける事 = 同じ助詞を多用しない事


それぞれのポイント、注意点を意識していくようにした上で、
主語が分かり易いメリハリのある文章を意識してみてください。

とくに「主語の分かり易さ」は述語の分かり易さにも繋がりますので、
文章の印象を大きく左右する要素であると言っても過言ではありません。

こちらの主語、述語の講義も併せて参考にして頂ければと思います。

>主語と述語の構成を意識して分かり易い文章を書く原則。

K.Uzaki

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2017年5月25日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

主語と述語の構成を意識して分かり易い文章を書く原則。

宇崎です。

今日のライティング講座は文章における基本中の基本。

「主語」「述語」

について講義してみたいと思います。

この「主語」と「述語」の構成を意識するだけでも、
文章は格段に分かり易く、読み易い文章になりますので、

「自分の文章が主語、述語を適切に構成できているか」

の確認も含め、是非、最後まで読み進めてみてください。
(意外にこれが出来ていない人が多いのが現実なので。)

主語と述語の構成を意識して分かり易い文章を書く原則。


まず、主語、述語のそれぞれの意味、定義としては、

主語:述語に対して、それが表す動作、作用を持つものを表した語
述語:主語の表すものの動作・作用・性質などを述べた語

堅苦しく説明すると、こういうものが情報として出てきますが、
これらを見て1つ言える事はこの「主語」と「述語」は、
それぞれが一体となっているものであるという事です。

主語の意味を説明するには述語という概念を持ち出す必要があり、
述語の意味を説明するには主語という概念を持ち出す必要がある。

要するに、これらは分けて捉えるものではなく、
あくまでも一体となったものと捉えるべきなんです。

ただ、これは実際の文章を見て捉えた方が分かり易く、

私は学校に行く
花が綺麗に咲いた

この文章で言えば「私は」「花が」が主語にあたり、
それに対する述語は「行く」「咲いた」にあたりますが、
これは実際に多くの人が当たり前に認識できるものだと思います。

その上で、分かり易く、読み易い文章を作成していく上で
可能な限り意識していくべき主語、述語のポイントは

・主語が分かり易い文章にする事
・主語に対しての述語が分かり易い文章にする事


主にはこの2つに集約されると言っても過言ではありません。

追って各ポイントをそれぞれ言及していきます。


主語が分かり易い文章にする。


これは書いてそのままの意味なのですが、
基本的に文章における「主語」は頭にくるべきものであり、

「誰が」「何が」(私は、あなたが、その犬は)

などは、やはり文の冒頭に持ってくるようにした方が、
文章そのものが分かり易いものになります。

主語を後付けするような文章を構成してしまうほど、
その主張、文章の主体が分かり難いものになってしまうため、
文章そのものが分かり難くなってしまうからです。

また、一般的に主語は文章の流れによっては省略する傾向にあり、
その意味が通じるなら省略しても良いものなのですが
ブログやメルマガなどの文章において言えば、

「主語の省略は基本的にはしないようにする」

というのも1つの鉄則として押さえておいた方がいいと思います。

そもそもの「主語の省略」が適切に成立するのは、

・前後の文章の内容をしっかりを理解されている事
・前後の文章がしっかりと読まれている事


が大前提となりますので、ブログやメルマガなどの文章は、
まずそこまでの意識では読まれない可能性を想定するべきだからです。

100人中100人というようなレベルで
そこまでの高い意識で文章を読ませていくというのは、
まず、ブログ、メルマガなどでは不可能に近い事ですので、
ブログ、メルマガなどの文章を構成していく際は、

・前後の文章の内容をしっかりを理解されていない可能性
・前後の文章がしっかりと読まれていない可能性


などを考慮し、原則として主語は省略しない方が良いという事です。

この「主語を省略しない文章を書く」という点については、
別途、言及しているブログ講座がありますので併せて参考にしてください。

>ブログ、メルマガを構成する文章は主語を省略してはならない

主語に対しての述語が分かり易い文章にする。


また、主語が分かり易い文章にする事を大前提として、
その主語に対しての述語も分かり易く構成する必要があります。

・主語として示したものが何をしたのか、何なのか。
・誰が何をしたのか、それが何なのか。
(その「主語」に対しての「述語」がどれなのか)


これらが明快で分かり易い文章を構成していく必要があり、
それを率直に認識できる文章にしていく必要があるという事です。

仮に主語が明確でも、それに対しての述語が分かり難い文章は、
やはり何を言いたいのかが分かり難い文章になってしまうからです。

とは言え、文章を書いていく際に主語を省略してしまう事はあっても、
述語の方を省略してしまうような事は、基本的には無いと思います。

いざ書き進めていく文章における主な「趣旨」にあたるものは、
大抵の場合、この「述語」の方にあるはずだからです。

よって、主語に対しての述語を構成する上で注意するべき点は、

「主語と述語を離し過ぎない事(可能な限り近づける事)」

であり、これを徹底できるだけでも文章は格段に分かり易くなります。

その「分かり易さ」のポイントはあくまでも主語に対しての述語、
その関係をいかに分かり易く認識させるかにありますので、
実際に「主語」と「述語」が1つの文章上で離れてしまうほど、
その文章は回りくどい印象を与えてしまい、分かり難くなってしまうんです。

故に、文章上における主語と述語は「可能な限り」近づけてください。

ただ、これはあくまでも「自然な範囲」において、
可能な限り離さないようにする、近づけるという事であって、
とにかく主語と述語を近づければ良いという事ではありません。

例えば以下の文章。

A君は文章だけで商品を成約できてしまう、アフィリエイトなどのビジネスには欠かせないコピーライティングというスキルを、3日間、不眠不休で努力して身に付けました。

この文章の主語は『A君は』であり、
その主語に対しての述語は『身に付けました』ですが、
その間に多くの情報が詰め込まれているため、
主語に対しての述語が文章中で離れてしまっています。

そのため、最後の『身に付けた』の一文を目にするまで、
この文章で言わんとする事の意味が分かり難い、
やや「回りくどい文章」になってしまっているのです。

かと言って、主語と述語を強引に近づけてしまうと・・・

A君は身に付けました。

文章だけで商品を成約できてしまう、アフィリエイトなどのビジネスには欠かせないコピーライティングというスキルをたった3日で、、、。

ただ、その3日間は不眠不休で努力しました。

これはこれでアリの文章のようにも見えますが、
やはり、最初の一文は趣旨そのものが分かり難く、

「何を身に付けたの?」

という漠然とした疑問が生まれてしまう文章になっています。

仮にこのような文章を構成するのであれば、
その漠然とした疑問を「興味」へ結び付けられるように、

A君はたった3日でとんでもないスキルを身に付けました。

それは「コピーライティング」という文章だけで商品を成約してしまうアフィリエイトなどのビジネスには欠かせないスキルであり、彼はそのスキルを3日間、不眠不休で努力し、手に入れたのです。

このような構成にすれば、先立つ一文が「興味付け」になり、
続く文章を読み進める「意欲」へ結び付けられるようになります。

ただ、この文章で強調して伝えたいポイントよっては、

A君はたった3日でコピーライティングというスキルを身に付けました。

文章だけで商品を成約できてしまう、アフィリエイトなどのビジネスには欠かせないスキル。

それこそが、彼が3日間、不眠不休で努力して身に付けたコピーライティングというスキルなのです。

A君は文章だけで商品を成約できてしまうコピーライティングというスキルを身に付けました。

それは、アフィリエイトなどのビジネスには欠かせないスキルと言っても過言ではありません。

そんなスキルを、3日間、不眠不休で努力し、身に付けたのです。

このような構成でも、主語と述語を近づける事が出来ます。

前者は3日間という期間を強調する構成であり、
後者はスキルそのものの価値をまず強調する構成ですが
いずれも先立つ1文構成の回りくどい例文の方と比較すれば、
遥かに読み易く、分かり易い文章になっているはずです。

先立って示した「興味付け」を前提とする例文も含めて、
主語と述語は「とにかく近づける」というのではなく、

・疑問を生んでしまう場合は興味付けを併せて意識する
・強調して伝えたい事は述語と共に構成する


このようなポイントを意識した上で、
主語に対しての述語が分かり易い文章を作るようにしてください。


主語と述語の構成原則。まとめ


以上、今回のライティング講座は「主語」「述語」の講義として、

・主語が分かり易い文章にする事
 ⇒ 主語を文章の冒頭で構成し、省略しない

・主語に対しての述語が分かり易い文章にする事
 ⇒ 主語と述語を自然な範囲で近づける

この2つのポイントを例文などと併せて言及させて頂きました。

実際にこの「主語」と「述語」の構成を意識するだけでも、
文章は格段に分かり易く、読み易い文章になるはずです。

是非、参考にしてみてください。

K.Uzaki

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2017年5月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

文章における改行、句読点の位置、入れ方について。

宇崎です。

今日は文章における「改行」「句読点」について。

とくにネット上に公開するブログにおける文章や、
メールマガジンにおける文章において、
改行、句読点をどう入れていくべきかを講義してみたいと思います。

文章構成における改行、句読点について。


読み手側に対して「読みやすい文章」を作成していく上で
「改行」や「句読点」(、)(。)は欠かせないものであり、
それはブログでもメールマガジンでも変わりません。

その基本的な原則として「句読点」については、
文法的な観点で、その使い方は「決まっているもの」であり、
大半の人はその文法に沿った句読点が正しく入っている文章を
日々、日常的に読んでいる傾向にあります。

新聞、雑誌、書籍、などですね。

ですので、その「文法」に沿っていない形で、
不自然に句読点が入っている文章を目にしてしまうと、
やはりそこに「違和感」を感じてしまう傾向にあります。

そのような文章は普段、目にしている文章とは異なるからです。

言わば「正しく句読点が用いられている文章」が、
多くの人にとっての「普通」になっているからであり、
その「感覚」に反した文章には違和感を与えてしまうわけです。

よって、句読点は当然ながら、その文法に沿って、
正しい使い方をして文章に入れていく必要があります。

ただ意外にこの句読点の正しい使い方が出来ていない為に、
文章がわかりにくく、読みにくいものになっているブログ、
メールマガジンというのは、私自身、本当によく見かけます。

おそらくこれは「文法」としても、
あまりにも基本的過ぎるものである為、
意外にその「決まり」を頭で理解していない人が多く、
それが多くの人のブログやメルマガに現れているのだと思います。

と言ってもその決まりは、何ら複雑なものでも何でもありません。

句点(。)については以下の通り。

・一つの文章の終わりに付ける。

読点(、)は以下の通りというだけの決まりです。

・主語の終わり(私は、私が、)
・接続詞の後(しかし、そして、)
・文と文を分ける際(~であり、~となった為、)
・並列関係にある語句の間(本、CD、ゲーム)
・修飾語に応じた場所(高級な、ダイヤの指輪・高級なダイヤの、指輪)

基本的には上記の決まりに沿って句読点を入れ、
文章を作っておけば、それで何の問題もありません。

上記が実質的な句読点の「決まり」の全てです。

その中で強いて注意が必要なのは、

・修飾語に応じた場所に用いる読点

くらいかと思います。

この読点の場所によって「文章の意味」も変わってくる為です。

例:高級な、ダイヤの指輪・高級なダイヤの、指輪

仮にこの文章に読点を付けないと、
「高級な」という修飾語がどこにかかっているのかが分からなくなり、
読み手によってその解釈が変わってくる場合がありますので、
正しく伝わる文章にする上で若干、注意が必要です。

ただ、この句読点にもやや関係するポイントとして、
そこまで明確な「決まり」があるわけでは無いものの、
文章の読み易さ、分かり易さを大きく左右してしまうのが
今回、もう1つ取り上げる「改行」の入れ方、用い方です。


句読点に対する「改行」の適切な入れ方。


ただ、この「改行」における適切な入れ方も、
何ら複雑な要素があるわけでは無く、
そのポイントは実質的に以下の1点に集約されます。

それは「その入れ方に規則性を持たせる事」です。

逆に言えば「不規則な改行を入れない事」であり、
理由は単純に不規則な改行が入った文章は読みにくいからです。

例えばこのブログであれば、

『句点(。)と適度な読点(、)で改行を入れていく』

というのが、その「規則性」に相当するものになっています。

ただ、今、こうしてお読み頂いている、
ブログ等のウェブ上に公開していく記事(文章)であれば、

「句点及び適度な読点で改行を入れていく」

という規則性か、

「句点のみで改行を入れていく」

という規則性かの、どちらかになるのが一般的です。

このいずれかの規則性が普通に「読みやすいから」です。

対して「メールマガジン」における文章に関しては、圧倒的に

『句点(。)と適度な読点(、)で改行を入れていく』

という構成が「読みやすいもの」になります。

理由として、大抵のメルマガ読者は
何らかのメールソフトやフリーメールでメールを確認する為、
そこにあまりに横に長い文章が表示されると、
文章そのものが普通に「読みにくい文章」になってしまうからです。

例としては、こんな感じですね。



こんな感じで横にズラズラと長い文章のメールが届いたら、
その時点で普通に読む気が失せませんか?

勿論、メールマガジンというメディアの特性として、
その読者の「教育」が徹底的に出来ていれば、
どんな形式の文章であろうと、普通に読んでもらえるかもしれません。

ですが、仮にしっかりと教育が出来ているとしても、
人にはそれぞれの生活リズムがあります。

そんな中、忙しい時にメールが届く事もありますので、
いつ、何時でも、その集中力を全開にして、
届いたメールの文章を読んでくれるとは限らないわけです、

そして何より大抵のメルマガ読者はメールが届いた時、
そのメールに気が付いた時にそのままメールを開き、
そのまま「ザッ」とメールを読み進めていくものだと思います。

その上で改行があまり入っていないような「横に長い文章」は、
ある程度集中して文章を読んでいかなければならない為、
多くの人が「ザッと読む」可能性の高いメールマガジンにおいては、
そういった「横に長い文章」はあまり適切とは言えません。

やはり、メールマガジンの文章は、
適度に改行が入った縦長の文章の方が、
ある程度「感覚的」にも文章を目にしていく事が出来る為、
その観点においても「適している」わけです。

ただ、実際に適度に改行を入れて文章を作っていく場合、
あくまでも改行は「句点」「読点」以外の場所には
まず入れないようにしていく事が1つの鉄則になります。

本来、読点、句点が入らないようなところに改行を入れてしまうと、
読み手側はそこに「区切り」を入れて文章を読んでしまう為、
実質的に「不自然な場所」に読点が入っている文章と変わらない
違和感のある不自然な文章になってしまうからです。

例として、上記4行の文章にあえて、
不規則で不自然な改行を入れて構成してみます。

本来、読点、句点が入らない
ようなところに改行を入れてしまうと、
読み手側はそこに「区切り」を入れて文章を読んで
しまう為、実質的に「不自然な場所」に読点が入っている文章と変わら
ない、違和感のある不自然な文章になってしまうからです。

いかがでしょうか。

感覚的には、改行のところで文章を読む上での「区切り」を入れてしまい、
次の一行の文章を読んで、その違和感に気付き、
単純に「読みにくさ」「わかりにくさ」を覚えてしまうと思います。

要するに改行は「句読点」を1つの基準として、
読み手が不自然や違和感を感じないよう、
規則的に入れていくようにするべきという事です。


「句読点」と「改行」の適切な入れ方。まとめ


以上、句読点、改行についてのまとめですが、

句読点はあくまでも「文法」に沿った形で入れていくものであり、
改行はその「句読点」に沿った形で、
一定の規則性を持たせ入れていくようにしてください。

逆に「文法に沿わない句読点」を入れてしまったり、
その「句読点に沿わない不規則な改行」を入れてしまうと、
その文章は非常に読みにくく、違和感を与えるものになります。

よって、この「句読点」「改行」という要素は、

「正しく、適切に用いる事」

を強く意識していくよりは、

「不適切に用いない事」

を1つの鉄則として意識していく事をお勧めします。

是非、参考にしてください。

K.Uzaki

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2015年9月29日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:文法・品詞

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