言葉の使い方、文章が「美しい」と表現される作家と言うと、
やはりノーベル賞作家の川端康成の名前が挙がると思います。

とくに私が川端康成の小説、文章を読んでいて思うのは、

「情景描写が上手いとか、もはやそういうレベルを通り越している」

という事です。

作家が物語を書くときは様々なものを文章で描写しますが、
川端康成はとにかく「情景描写が神がかっている」と思います。

コピーライターがコピーを書くときも何かを描写する事はありますし、
当然、情景描写に近いものをコピーにするような事もあります。

ただ、文章における「描写の美しさ」のようなものに関しては、
最終的にはセンスやその人個人の美的感覚が大きいのかもしれません。

そういう意味では参考にして書けるものではないのかもしれませんが、
文章でこんなにも美しい情景描写ができるといった視点も含めて、

「川端康成の情景描写3選」

というテーマで、私が個人的に記憶に焼き付いた、
川端康成の情景描写を3つほどご紹介していきたいと思います。

川端康成の文章に学ぶ、美し過ぎる情景描写、比喩表現。


私が選んだ情景描写3選の前に、川端康成の文章を語る上では、

「まずはこれをご紹介しておかなければ始まらない」

という、有名なこちらの文章をひとまず紹介しておきます。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。
-川端康成「雪国」より

これはもはや、私があえて言及するまでもないくらい、
多くの人、作家などが、その「凄さ」を解説している有名な文章です。

小説そのものも有名な『雪国』の最初(書き出し)の一文ですが、
この有名な文章も、他でもない「情景描写」にあたります。

やはり卓越しているのは『夜の底が白くなった』の2つ目の文章で、

「夜」「底」「白」

といった、誰もが普段から日常的に使っているような言葉だけで、
誰も書いた事がないような表現を「自然な表現」のように文章にしている事。

「夜の底」「夜が白くなる」

このような表現はまずしないはずなのですが、いざ文章を読んだ際、
そんなありえない表現をごく自然に捉える事ができます。

使った事も聞いた事もない表現であるにもかかわらず、
その情景、状況が頭の中で普通にイメージできてしまうわけです。

「夜の底が白くなった」という、この短い一文だけで、
ここまで「凄さ」を言及できてしまうのですから、
さすがはノーベル賞作家ということですね。

一応、この一文に学ぶ事ができる「情景描写」のポイントとしては、

・誰もが日常的に使っている言葉だけを使う(耳慣れない言葉は使わない)
・日常的な言葉だけで全く新しい表現で文章を構成する
・その表現が自然と頭の中に入ると共にイメージできる文章にする


という感じになると思いますが、こんな文章はそうそう書けないと思います。

ただ、この『雪国』の書き出し文は、あまりにも有名ですから、
実際に『雪国』を読んだ事がない人でも目にした事があるような文章です。

当然、川端康成の文章には、これにも劣らないような凄い文章、
美しい情景描写がたくさんありますので、ここからは私が選んだ、

「川端康成の凄いと思う情景描写3選」

を紹介していきます。


川端康成の「凄い」と思う情景描写①

谷には池が二つあった。下の池は銀を溶かして称えたように光っているのに、上の池はひっそり山影を沈めて死のような緑が深い。
-川端康成「骨拾い」より

これは少し不気味さを感じさせる情景描写ですが、

・誰もが日常的に使っている言葉だけを使っている
・日常的な言葉だけで全く新しい表現の文章を構成している
・その表現が自然と頭の中に入ると共にイメージできる


という点は、やはり共通している文章だと思います。

この文章は「2つの池」について描写しているわけですが、

・銀を溶かして称えたように光っている池
・ひっそり山影を沈めて死のような緑が深い池


池の描写で、手短に、ここまでの文章を書けるのは
やはり「凄い」としか言いようがありません。

それこそ長々と様々な比喩や表現を駆使して長い文章を作っていけば、
かなり具体的なイメージが広がる「池」を描写する事ができると思います。

ですが、川端康成の文章は、それを物凄い短い文章でやってしまうわけです。

とくに2つ目の池の描写は「死のような緑」という、
これまた誰も使わないような表現が「自然」に使われています。

「死」という概念と「緑」という色の組み合わせが、
ここまで「池」の情景描写にハマるなんて、
少なくとも、私はこんな描写表現は絶対に考え付かないです。

川端康成がこういう表現を頭を捻って考え出していたのか、
それとも、こういう表現が自然と出て来る人だったのかはわかりません。

どちらにしても「もの凄い表現力」だと思いますが、
日常的に「池」や「海」などの自然を目にした際、

「死のような緑だな」

という感覚が自然に出て来るような人だったのであれば、
もはや天性の感覚を持っていたとしか言いようがないですね。

川端康成の「凄い」と思う情景描写②

若葉の影が令嬢のうしろの障子にうつって、花やかな振袖の肩や袂に、やわらかい反射があるように思える。髪も光っているようだ。

茶室としてはむろん明る過ぎるのだが、それが令嬢の若さを輝かせた。娘らしい赤い袱紗も、甘い感じではなく、みずみずしい感じだった。令嬢の手が赤い花を咲かせているようだった。

令嬢のまわりに白く小さい千羽鶴が立ち舞っていそうに思えた。


-川端康成「千羽鶴」より

これは情景描写であり、また人物の描写でもある文章ですが、
女性の「美しさ」「可憐さ」を表現した文章は数あれど、
この文章では、そのような直接的な表現を一切、使われていません。

まさに、その人物の「情景」を描写していくような形で、
その「美しさ」「可憐さ」を見事に描写している文章だと思います。

その「令嬢」の美しさ、可憐さを、

「やわらかい」(触覚)
「反射、光」(視覚)
「甘い」(嗅覚)
「みずみずしい」(味覚)


これら4つの感覚に訴える形で表現されているため、
まさに五感(聴覚は入ってませんが)で「美」を感じ取れるわけです。

ちなみにこの描写は、文中の「令嬢」が茶室でお茶をたてている所作で、
主人公の男性がそれを見て感じた事を文章にしている構図なのですが

「令嬢の手が赤い花を咲かせているようだった。」

という一文は、その令嬢がお茶を建てる「手先の所作」まで、
その「美」が浸透している要素を表現しているのだと思います。

そして、この小説の題名である「千羽鶴」が、この描写を締めくくります。

こんな文章を見せられると「〇〇のように美しい」といった、
ほぼ直接的な比喩表現などが、どこか安っぽい感じに思えてしまいますね。

このような「美」の表現も、川端康成は、やはり卓越していたわけです。

川端康成の「凄い」と思う情景描写③

山道に揺られながら娘は直ぐ前の運転手の正しい肩に目の光を折り取られている。黄色い服が目の中で世界のように拡がって行く。山々の姿がその肩の両方へ分かれて行く。
-川端康成「有難う」より

山道を走る「馬車」の中で「娘」が先頭の運転手の背中を見つめている描写です。

本来は、そのような情景が先立つ形の上で読むべき文章ですから、
今一度、その情景を浮かべて読み返してみてください。

「山道に揺られながら娘は直ぐ前の運転手の正しい肩に目の光を折り取られている。」

この一文は娘が運転手の背中を見つめている客観視点の描写。

そして、次の一文からは、その「娘」からの視点に切り替わります。

「黄色い服が目の中で世界のように拡がって行く。」

黄色い服を着た運転手の背中をジッと見つめている娘の中で、
その情景、風景が娘にとっての「世界」となり、
その中で馬車が山道をどんどん進んでいく情景を

「山々の姿がその肩の両方へ分かれて行く。」

という文章で表現しています。

山道を進んでいく馬車の情景を「外側からの視点」ではなく、
その「内側からの視点(乗客である娘の視点)」に切り替えた上で、
そのイメージが鮮明に浮かぶような文章になっているわけです。

「山々が両肩に分かれて行く」

という表現で山道を進む馬車の情景を描写する、という視点、
そして、その感覚が、これもまた違い視点で「凄い」と思いました。

ちなみに、この「有難う」の娘は身内に「売り」に出されるところで、
その心情を交えて読むと、娘が運転手の背中を見つめている情景なども、
また、少し違った視点で見えてくるところがあると思います。

川端康成の文章に学ぶ、美しい情景描写。まとめ


以上、私が個人的に選んだ「川端康成の凄いと思う情景描写3選」でした。

川端康成の情景描写が卓越しているポイントは冒頭でもお伝えした。

・誰もが日常的に使っている言葉だけを使っている事
・日常的な言葉だけで全く新しい表現で文章を構成している事
・その表現が自然と頭の中に入ると共にイメージできる文章になっている事


この3点に集約されていると言っていいと思います。

文章には語藁力(たくさんの言葉を知っている)が必要と言う人もいますが、
コピーライティングにおいて言えば「多くの人が認知していない言葉」は、
単純に「反応の低下」を招きますので、あまり使うべきではありません。

そういった点で言えば、ここで挙げたような川端康成の情景描写は、
いずれも、誰もが日常的に使っている言葉だけで文章が作られているため、
コピーライティングの視点でもかなり勉強になる文章と言えるはずです。

川端康成の小説は、こんな卓越した描写のオンパレードですから、
もし、このような「卓越した表現力のある文章」に触れたい場合は、
そういう視点で、川端文学の世界に没頭してみるアリだと思います。

ちなみに私は師匠の薦めで「掌の小説」という短編集を読んでハマりました。

ここで挙げた「骨拾い」「有難う」も収録されていますので、
興味がありましたら、読んでみてください。

K.Uzaki

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