ですます調,だである調,どちらの語尾で文章を使い分けるべきか
文章の書く上での「口調(文体)」として、
です・ます調:~です。~ます。を語尾にする文章 だ・である調:~だ。~である。を語尾にする文章 |
この2つのどちらかの口調(文体)が基本となるはずですが、
「どちらの口調で文章を書いた方が良いのか」
「2つの口調をどう使い分ければ良いのか」
といったご質問、ご相談を頂く事がありますので、
今回は、これらの文章上の「口調」について解説していきます。
「です・ます調」「だ・である調」はどちらで文章を書くべきか
このブログの記事は全般的に「です・ます調」書かれています。
これは単純に「だ・である調」よりも「です・ます調」の方が、
このようなブログの文章に適しているため、そうしているのですが、
基本的な考え方として「です・ます調」が適しているのは、
「親近感を与えて読み手との距離感を縮めたい場合」
であり、いわゆる「ブランディング」を図りたいのであれば、
それを目的とする文章は「です・ます調」が適しています。
一般的な感覚として「だ・である調」の文章は、
どうしても「堅い」という印象から距離を感じさせてしまいます。
対して「です・ます調」は、口頭上での口調にも近いため、
「書き手がそのままその話を自分にしてくれている感覚」
を与えられる点で、必然的に「親近感」を与える事ができます。
例えば以下は、私のこのブログ内に投稿されている、
ヘッダーメニュー内の『はじめに』のコンテンツの文章ですが、
このブログはフリーのコピーライターとして活動している 私、K.Uzakiが首謀するコピーライティング至上主義者のための コピーライティングに重きを置くビジネス講座中心のブログです。 私自身はまだまだ駆け出しのフリーライターですが、 私の師匠はこの業界でも知る人ぞ知る 年収5億円超えという屈指のトップライターです。 実名などは一切出さず、決して表に出る事の無い人物ですが その実力と実績は間違いなく業界トップクラスです。 このブログではそのトップライターのスキルやテクニックなども 存分に学んで頂ける質の高いビジネス講座を展開しています。 「我こそはコピーライティング至上主義である。」 そんな意識の高いあなたには多くのノウハウを学んで頂けるかと思います。 |
こちらをそのまま「だ・である調」の文章に差し替えると、
このブログはフリーのコピーライターとして活動している 私、K.Uzakiが首謀するコピーライティング至上主義者のための コピーライティングに重きを置くビジネス講座中心のブログだ。 私自身はまだまだ駆け出しのフリーライターだが、 私の師匠はこの業界でも知る人ぞ知る 年収5億円超えという屈指のトップライターである。 実名などは一切出さず、決して表に出る事の無い人物だが その実力と実績は間違いなく業界トップクラスだ。 このブログではそのトップライターのスキルやテクニックなども 存分に学んで頂ける質の高いビジネス講座を展開している。 「我こそはコピーライティング至上主義である。」 そんな意識の高いあなたには多くのノウハウを学んで頂けるはずだ。 |
となります。
双方を読み比べて頂くと、やはり「だ・である調」の文章は、
どこか「上から目線」に感じてしまう文章になっていると思います。
何より、このコンテンツの文章は「挨拶」に近い位置付けにあるわけですが、
リアルな場における初見の挨拶で「だ・である調」で話をしてくる人はまずいません。
仮に初見の挨拶が「だ・である調」だったなら、違和感しかないと思いますし、
まず間違いなく、そんな挨拶をする人に親近感は持てないと思います。
要するに、このようなブログの文章に関して言えば、
「読み手との距離感を縮めて親近感を抱いてもらう事」
が文章の「精読率」や「反応」にも直結していく事になるため、
やはり「です・ます調」が適しているという事です。
逆に、強いて親近感や距離感を縮める必要がないような文章を書く場合で、
「客観的な事実を淡々と伝えていきたい」
という場合などは「だ・である調」の文章が適しています。
要するに、どこの誰が書いている文章なのか、といった点を含めて、
書き手側の人物像などをあえてイメージさせたくないような場合においては、
あえて「だ・である調」で文章を書いていけば良いという事です。
「だ・である調」と「です・ます調」の使い分けは不要
ただ、基本的に「自分からのメッセージ」という前提の文章において、
ここで言う「だ・である調」「です・ます調」が混在するような文章は、
単純に「違和感」の原因になり、間違いなく文章の反応を下げてしまいます。
それこそ、このようなブログの記事を構成するような文章は、
「ブログ運営者が訪問者に対して発しているメッセージ」
にあたりますから、その文章内で口調がコロコロ変わってしまうと、
書き手側の人物像やイメージも一貫しないものになってしまい、
まさに「親近感」や「臨場感」を薄れさせる原因になってしまいます。
例えば、先ほど示した『はじめに』の文章で口調を混在させると、
このブログはフリーのコピーライターとして活動している 私、K.Uzakiが首謀するコピーライティング至上主義者のための コピーライティングに重きを置くビジネス講座中心のブログです。 私自身はまだまだ駆け出しのフリーライターだが、 私の師匠はこの業界でも知る人ぞ知る 年収5億円超えという屈指のトップライターです。 実名などは一切出さず、決して表に出る事の無い人物ですが その実力と実績は間違いなく業界トップクラスだ。 このブログではそのトップライターのスキルやテクニックなども 存分に学んで頂ける質の高いビジネス講座を展開しています。 「我こそはコピーライティング至上主義である。」 そんな意識の高いあなたには確実に多くのノウハウを学んで頂けるはずだ。 |
このように1つ1つの文章で、書き手の人格が入れ変わっているような、
かなり違和感のある文章になってしまっている事がお分かり頂けるはずです。
また、これもリアルな場で、このように口調がコロコロ変わる人がいた場合、
違和感と共に「怖い」という印象を抱いてもおかしくないと思いますから、
それは文章においても、全く「同じ」という事です。
ただ、このような「だ・である調」と「です・ます調」が混在する文章は、
意図的ではない形で、そういう文章を「書いてしまっている場合」があります。
ですが、そのような文章は意識的に読み返す事で、自分自身が、
口調が一貫していない文章への「違和感」に気付けるはずですから、
・ブログなどにおける文章は「です・ます調」の一環を心がける
・「だ・である調」「です・ます調」が混在する文章は避ける
この2点は、ブログなどの文章を書き始めの事は注意してみてください。
以上、です・ます調、だ・である調についてお話しさせて頂きました。
是非、参考にしてください。
K.Uzaki
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カテゴリー:文章講座